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「指輪世界 - [時系列で並べてタグをつけた文章]」
1999/11 その3

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1999/11/21 (日)

[起きてパンフロ寝てパンフロ。(game)]

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 延々パンツァーフロントの体験版をやる。思えばタイガーIIシナリオなど最初はクリアすら難しかったのだが、THE DOM'S PAGEでのテコンドーさんの攻略を参考にそれを乗り越え、その次はIV号戦車シナリオで僚機の救出を試み煙幕弾や敵の認識アルゴリズムについて調べ、そしてまたタイガーIIシナリオで通常徹甲弾42発+榴弾のみでのクリアに挑戦し、味方の損害0を目指し……
 同じシナリオを、いろいろな目標を考え出して遊ぶのは楽しい。一つの玩具をいつまでもいじくりまわして遊ぶ。


1999/11/22 (月)

[パイプ椅子2つを使って寝ること。局所的価値基準。(etc)]

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 眠りかただが、研究室や和室で、パイプ椅子を2つ使って寝るのがベストだ。これだと6時間くらいで起きられる。
 アパートに帰って布団で寝ると短くて10時間、長くて12〜14〜20時間くらい寝る。これは二度寝三度寝によるもので、布団で眠ることの幸せすぎることによる。布団がある状態では、眠ることの価値が他の大概のことのそれに勝る。
 パイプ椅子での睡眠は、覚めるともうしたくなくなるため、二度寝が生じない。
 こうして目が覚めている普段では、眠ることの価値はかなり低い。寝たってたいして面白くない。本でも読むかゲームするかWebをながめているか何か書き付けるかのほうが面白い。
 やがて時間がたつと疲れてきて眠くなり、耐えられなくなって寝る。欲をいえば睡眠なしに起き続けていられたらいいのだが、現在のテクノロジーではまだ難しいのでしかたない。
 さて、問題はこうして寝てから、起きるときに生じる。
 二度寝をするか否か。こうして目が覚めている現在、結論はひとつ。すなわち、しない。
 ところが目が覚めた時には、「二度寝するべし」という気分でいっぱいになるんだな。少なくとも95%くらい。
 このことを、仮に局所的価値基準という言葉でとらえることにしたい。目が覚めている状態での僕の局所的価値基準は、

なのだが、目が覚めて布団の中という状態の局所的価値基準は
となって眠り1ラウンドKOカンカンカン三樌子。
 したがってパイプ椅子で寝ることで、目が覚めて布団の中という状態での局所的価値基準を適用されることを避けることができ、
 ……だからなんだという結論はないのでこれで終わる。


1999/11/23 (火)

[椅子2つから始まる一日。(etc)(game)(food)]

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 10時、起きる。THE DOM'S PAGEに投稿されているパンツァーフロントの攻略を読む。そうか南のJs-2の懐に飛び込むという手があったか。11時、和室へ。パンツァーフロント。敵の出現パターンを調べる。味方機損害0クリアの手順を探す。撃破したTA-34/85の残骸を盾にするという技を思いつく。17時15分、郵便局へ。敗北。休日は15時までだった。小島氏へtel、今夕飯を同席させてもらえるか聞く。可とのこと。和室へ戻るとラグビー部さんがミーティングをしていた。TV(ビデオ)を使っていたので、脇で金庸の「秘曲笑傲江湖」を読む。舟橋さんが中央図書館から借りてきた中国のベストセラー作家の長編武功小説。功夫の達人たちが繰り広げるケンカと人間ドラマとポリティカルパワーゲーム。ぐいぐいと読ませるパゥワァがある。その後またパンツァーフロント。残骸の盾は非常に危険だが──なにしろTA-34/85よりタイガーIIのほうが車体は大きいわけだし──位置どりと撃破手順に細心を払えば、いける。問題は南のJs-2×6苟を撃破して戻るまでにローテ1が後退しはじめてしまうことだ。133号機やイルティスの配置でどうにかなるものだろうか? 20時、小島氏宅へ。ハンバーグとかぼちゃとほうれん草。旨い。が、盗聴電波を探るとかいう番組を見るのはリトル閉口。ともあれまともな飯だった。外食とチキンラーメンばかり食べてると心が荒む。21時、和室へ。途中茨大犬をいじめる。新顔が増えて今だいたい10匹くらいいると思う。水戸はなぜだろう、野良犬が多い。パンツァーフロント。ローテ1が逃げ出さないよう右側の家の南側に押し付ける手順を試してみるが、そうすると10〜13Tに対する火力が足りなくなって肉迫され133号車が潰される。やはり運がからむのは避けられないのだろうか? 手順と技量だけでは駄目か? 24時、菅野研へ。メールとニフティとTHE DOM'S PAGEをチェック。日記を書く。


1999/11/24 (水)


1999/11/25 (木)


1999/11/26 (金)


1999/11/27 (土)


1999/11/28 (日)

[自然語の気持ち悪さ。歳をとっていた。夜歩く。(etc)]

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 姉と妹と野田秀樹率いるNODA・MAPによる劇「パンドラの鐘」を観に行く*1。姉の奢り。場所は世田谷区が巨費を投じたらしいキャロットタワー。内装が非常に格好良い劇場だった。現代建築ってこだわりきれずにぼろが出たときに非常にみっともなくなると思うのだが、ちゃんと金をかければ格好良くなるものだな。無駄遣いだ。
 跳んだり跳ねたりまくしたてたりたいへん楽しそうな舞台だった。「鐘」は妙な形だと思ったらファットマンで、後半原爆という言葉は出さなかったが原爆をテーマにした話になった。
 終演後、父母と合流、一家フルメンバー5人で自由が丘でお好み焼きを食べる。
 23時、越野家に遊びに行き、雑談。26時頃外へ出て徘徊。喋りながら闇雲に歩く。多摩川につきあたって南下、田園調布から電車で帰って30時就寝。

* 1:
 こう書くと姉や妹も率いているようではないか?


1999/11/29 (月)


1999/11/30 (火)

[旧軍装備の発掘。(etc)]

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 和室でパンツァーフロントをやろうとしていたら*1新聞部の伊藤君の知り合いが来て裏の駐車場の工事現場で兵舎時代*2の弾薬を掘り出しているという。見に行くとライフル弾? やマガジン、手榴弾や迫撃砲? なんかが並べてあって工事のおじさんたちの中にヘルメットかぶってる自衛隊の人が2人。自衛隊のジープもあって赤いスピーカと回転灯がついていた。
 ライフル弾? は銀色で数センチ長で100個くらい。他のものは全部茶色く錆びていた。手榴弾は工事のおじさんが携帯電話で誰かに報告していた話では演習用のもので20個ほど。マガジンは曲がってて30個くらい。迫撃砲? は5〜6本。錆びてバラバラになったラッパが3つ。2〜3センチ? の丸い弾? が百個程度小山にして積んであった。あとかなり小さくて1センチかそこらの弾? が数百個、自衛隊の人が座って選り分けていた。工事のおじさんは、弾も演習用で装填の訓練をするためのものだとかなんとか喋っていたようだがよく聞き取れなかった。
 自衛隊の1人は肩の階級章によると一等陸曹だった

* 1:
 秋葉原の秋月電子で120円で買ったメガネの電源ケーブル──ワープロやPSで使う──はかみ合わせが悪い。一応はまるけれど、安物買いだったかなあ。

* 2:
 茨大の敷地は歩兵第2連隊の兵舎か何かだった。

 皆さんはまだシャベルカーとふるいで掘り出すつもりだったようだが日が暮れてきたので退散した。

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