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風邪をひいて一日ダウン。
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会社帰りの越野と新宿で落ち合ってブレアウィッチプロジェクトを見る。
酔う。
撃てないドゥーム。歩くカメラ。がっしゅがっしゅ*1。
内容は、だいたい前評判から考えていた範囲。ジョオオオオオオォォォォォォーーーーーーーーッシュ!! どこだアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァッ!!(荒木飛呂彦に漫画を描かせるとハマると思うが如何)
続編予想。果樹園*3。
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このところ悩んでいる問題があります*1。この会議室でも何度か触れられている、マルチプレイヤーズゲームで序盤トップにならないほうがよい、という現象です。
ABCDEの5人でゲームをプレイしていて、プレイヤーAが最初にトップになったとします。BCDE4人の攻撃がAに集中し、Aは転落します。
こうした集中攻撃を避けるために、序盤はトップになるな、というわけです。
しかし、これはおかしくはないでしょうか。
Aに対する集中攻撃がAの「有利さ」を減らしていくとすると、やがてAの有利さと2位の有利さが等しくなる、同点2位の状態が来るはずです(一撃の攻撃のダメージが十分小さいとして。一撃のダメージが大きい場合は、違う議論になります)。
この時点を越えてもまだAに対する集中攻撃が続くとすると、Aはもうトップではないのに攻撃される、いわば「オーバーキルされる」*2ことになります。
序盤トップになるな、というのはこの、オーバーキルを恐れての言葉なのでしょう。オーバーキルが起きないのならば、序盤のトップにリスクはないはずです(オーバーキルが起きないのならば、皆の集中攻撃を浴びても同点2位まで、その2位と一緒に目標にされたとしても同点3位まで、最終的には「全員同点状態」までしか、集中攻撃の目標にされることはないはずです)。
したがって、序盤トップになるべきでないようなゲームをプレイしているプレイヤー集団では、オーバーキルが起きている、ということになります。
しかしオーバーキルというのはどうにも気持ちの悪い現象ではないでしょうか。言ってみればトップ<傍点>だった</傍点>ことを口実にして特定のプレイヤーをいじめているわけで、正当な理由がありません。本当のところは、どのプレイヤーを目標にしたって構わないわけです。
もっとも、多くのゲームでは有利さの評価が難しく、同点2位、同点3位の時点が見極められません(麻雀のようにかなり有利さを評価しやすいゲームもありますが)。また、<傍点>オーバーキルこそ交渉の目的である</傍点>という意見もあります。その気持ち悪さがマルチプレイヤーズゲームの味だ、とも言われます。
「非2人零和ゲームは社交の道具、男子が一生を賭けるものではない」のでしょうか?
*1:もっと長くて滅裂な文章……
http://homepage1.nifty.com/~yu/diary/199912b.html#1101
*2:オーバーキル……
「殺りすぎ」。RPGなどで使う。生命力16の敵に1000のダメージを与えるなど。
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ニフティのfgame1に投稿したオーバーキルの続き。
マルチプレイヤーズゲームにおいて交渉したり、取引したり、同盟したりするというのは、それに加わったプレイヤーが加わらなかったプレイヤーより勝つ確率を増す行為である。さて、どのプレイヤーに対して行っても自分の勝つ確率の増加分が等しい、あるいは非常に同等に近くて区別できないという選択肢があったら、どのプレイヤーを選ぶかについて「勝つ確率を少しでも多く増す選択肢を選ぶべし」という基準からは合理的な結論を出せないことになる。これは困る。これが、俺が悩んでいることの本質なのだろうか?
メール[管理人伊藤悠 / ITO Yu / FZR02073---a---t---nifty.ne.jp]
この日記は、GNSを使用して作成されています。