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1999年10月21日からの続き。
「こうなれHTML」での傍点について、コメントをいただいたのでためしにやってみる。
ふむふむふむ。
弱点はフォントサイズを固定にしなければならないことと、画像非表示の場合にお手上げということか。
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この人、agendaのそふぃあさんの言うことをしばらく流し読みする。ここの「アクセシビリティ@9/21」*1。
googleは強力だ。いっそリンクはすべて<a href="http://www.google.com/search?num=50&hl=ja&q=%8Ew%97%D6%90%A2%8AE+URI+google+%82%BB%82%D3%82%A1%82%A0%82%B3%82%F1&btnG=Google+%8C%9F%8D%F5&lr=">とでもしてしまったらどうだと思うときもある。
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さらに流し読み。ここの「ブラウザでのテキスト選択範囲」。
ブラウザで範囲指定・コピーする際にどうもやりづらいと思っていたら、連中がそんな巨大な世話をしてくれていたとは……許せん。俺は俺の好きな範囲をコピーするんだ、単語単位だのブロック要素単位だの、ほうっておいてくれ。たとえば範囲指定を単語単位でしかやらせてくれないエディタで仕事させられたとしたら、僕は1週間で気が狂って製作者を殺しにいくだろう。いや、その状況では100人が99人そうするだろうから、気が狂うという表現は不適だ。それが正常だ。
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さて、HTMLやらCSSやらでwebページを書くことについて、けっこう抽象的な話を考えてみよう。
僕は、文法的に正しいとか、好ましいとか、規範に則ったとかいう例のアレは、かなり小笠原流礼法みたいなものなんじゃないかという疑問を抱いている。
文法的に正しいことは格好良い。で、それ以外のメリットがあるだろうか? われわれ文法を意識している人間が、その集団の中でダンスを踊っている*1だけではないのか? ステップを眺めるかわりにソースを読んでいるのでは?
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ここで客観的な基準になりえるのは、盲人と機械処理の2つではないか。ではそれぞれについてみていこう。
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盲人のためのwebページの書き方については、バリアフリーWebデザインのための7つのポイントなどがある。
まず思いつくのは盲人用ブラウザをインストールし、目を閉じて自分のページを聴くことだが、盲人用ブラウザにはスクリーンリーダという画面音声化アプリケーションが必要らしく、しかもどれも38000円とかごつい値段をしている。なんてこった。MS-DOSでならフリーソフトがあるみたいなんだが。
と探していたら、ボイス・サーフィンというソフトの体験版を発見。落として聴いてみる。
……なんかHTMLの文法がどうのとかからかなりずれた問題だな、これは。僕お得意の冗長な対話文なぞはとても聴いていられたものじゃない。ほかにも漢字の選択、アルファベットの大文字小文字などなど、音声化アプリケーションに読んでもらってちゃんと聴けるか、が課題だ。僕の文章はかなり不合格だ。むむう。
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次に機械処理について。<p>とか<br>とかを文法的に正しく使い分けて、機械処理についてどれだけの、どんなメリットが生じるだろうか?
機械処理といってもNamazuでのHTMLの要素によるスコアの重みづけ程度のことがやれるにすぎないのではなかろうか。もし今とつぜん宇宙中のヤカンが凍りつき、世界中のページが文法的に正しく規範に則ったXHTMLとCSSに書き直されたとして、それを機械処理してどれだけ面白いことができるだろうか?
たいして楽しいことができるとは思えない。僕が想像力不足なのかもしれないけれど。
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というわけで、どうもダンスじゃないかと思えるのだった。うぬう。
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2001/11/27/01aへ続く。
11月14日の日記について、坂田さんよりメール。15日0059時着。
まず、日記は持っといたほうがいいでしょう。すごーく稀に書くのでもいいでしょう。自分の発言を引用されるのとリンクされるのとでは雲と泥の違いがありうると僕は思います。坂田です。 日記の感想。チャネルがないので mail にします。やっぱり僕も日記かかなきゃ だめかし(もう n回め) http://homepage1.nifty.com/~yu/diary/200111b.html#14 ダンスっていいだしたのは誰なのかしら? 君だっけ? 僕だっけ。こういった要 素があることは同意。 プログラムコードとの比喩が正しいかな。動けばいいというものではない。移 植性、可読性、抽象性 etc といった要素において、実質的な部分と儀礼的な 部分とは不可分。簡単に言える部分的なところをあげれば、 void main() と書いてよいか (ANSI 的にはだめ(int を返す) ただ、たいてい のコンパイラは通す) int *a = 0 か = &0 か。(pointer なんだから &0 じゃろ、という人もいる) (a == 3) か (3 == a) か (後者だと、a=3 との間違いが防げるという。これ は愚かなルールと思う) http://www.st.rim.or.jp/~phinloda/cqa/cqa6.html みたいな感じ。人とか環境によるでしょう。 うれしい点のみつもりが少ないのはやや不同意。 見出し(H?)、列挙(UL,OL)、段落 (P) の 3点が徹底し、見かけの要素が全部 CSS に行ってくれれば ・UserSide CSS が使い物になる 画面のフォントサイズ、行間などを自分の好みで上書きできる。逆に言え ば、各 Page が fontsize independent に書くことを要請される。 色とか、 インデント幅も自由。すばらしいにょ。 ・機械処理 ぜんぶのページが(CSS を除いたところでは) awk のマニュアルのような構 造をもつと思いねぇ。さすれば。 自動目次 … しかも n段ひらける。 用語一覧/索引生成 … 要素を em にするのはちょっとあれだけど。ま。 *ページの作者が用意しなくても* 手元でできるというのが重要。 ・可換性 html2〜 がとっても書きやすくなる。使いものになる。 とか。他にもいろいろありそうだと思うよ わたしゃ。 いじょう。じゃ。
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UserSideCSSですが、<傍点>僕にはすばらしくはありません</傍点>。僕が恋人にスパゲティを作ってあげると仮定します*1。そのとき、パスタとソースを分けて出して、「僕のソースが気に食わなければ君の持ってるソースでも醤油でも好きなものをかけて食べてくれ」と言うようなものです。その時、僕は立派かもしれませんが、醤油をかけて食われている間、凹むでしょう。
「僕が精魂込めて作ったレイアウトが気に食わなければ君がそれを捨てられるよう、精魂込めてhtmlとcssを分離しといたよ」気遣いを無駄にできるように気遣う。USCSSへの対処は立派ではありますがちょっと自己否定的な、微妙な行為です。
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「理論上面白いことができうる」と言われるだけでは不足です。文法を守っていたおかげで3年後に何か楽しいことがあるかもしれませんが、待ってられません。具体的に、あるいは実際に、「ほら文法的に正しく書いてるおかげでこんな楽しいことができた」と示されなければ、文法を守るコストを他の面に回す人が出るのは当然です*2。
天秤の片側には、テーブルを駆使してレイアウトしたり、固定フォントと画像とでクウゥゥゥルなデズァインをしたりといった綺麗なものが載っています。で、こちら側に何が載っているかというと、たいしたものは載っていないのではないか。
僕は文法をある程度気にしていますが、思うにそれはクウゥゥゥルさにあまり重きを置いていない、むしろ敵視している、からのようです。
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プログラムのソースはいくつもの人と機械処理の手を経て変化していきます。何ホップもがありえます。それに対して、htmlソースは2ホップもあるかどうか疑問です。たとえばUSCSSを使って1ホップですが、そこで行止りです。
そこらへんで勘違いがあるような気もします。
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ゲーム研究会第3回。ギャルゲーについて茂内さん。やおいゲーについて小柳津さん。聴衆6人。
「王子様LV1」というボーイズラブゲー(全年齢。別売CDによりCG追加18禁化)を紹介される。システムは伝統的なランスや闘神都市で、ダンジョン1つ、イベント、男の子モンスター。面白いのは、主人公の坊ちゃん王子Aと気配り苦労人系付き人B、そしてBに絡んでくる耽美系Cという3人の人間関係が描かれている点だ。
ときメモを性を軸にして反転させるとアンジェリークになるとしよう。これは対称だ。だが王子様LV1の三角関係を反転させて、女の子が3人で色事を匂わせつついちゃいちゃするギャルゲー、というものを想像すると、これは、ない。
ここに非対称性がある。以下、乱暴な議論。細かい例外は許せ。
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ギャルゲーの描く物語とは、
主人公(男) ←好感度p─ 婦女子
王子 → 付き人
王子 ← 付き人
耽美 → 付き人
耽美 ← 付き人
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さて、このような矢印がユーザーに対して一定の破壊力を持つとすれば、矢印の本数を増すことでユーザーを粉砕できるだろう。ときメモでいえば、婦女子の同時攻略を可能とすればそれを実現できる。しかし、実際にはそうはできない。なぜなら12人の中からの婦女子の択一というジレンマを除いてしまうと、ときメモのシステムは成り立たなくなってしまうからだ。
ガンパレードマーチでは主人公が(目からビームによって、文字通り)*字型の人間関係の中心になりえる。この攻撃力も壊滅的である。ただし複数の異性を同時攻略した際に罰(争奪戦)が用意されていることは興味深い。GPMの面白さがどう生じているのかはよくわからないのでここでは踏み込まない。
エロゲーであるが、同級生は14本中11本の矢印の同時攻略が可能であり、かつその時もシステムは破綻しなかった。これは<傍点>エロゲーだから</傍点>であろうか? そうかも。
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*字型、ヒトデ状の人間関係を超えて、ネット状、ウェブ状の人間関係を双方向矢印でもって表現できればユーザーを爆殺できるはずである。他人の恋愛(に限らないが)関係に干渉し、その結果を鑑賞する。仲人ゲー。ではこの仲人ゲーについて考える。
仲人ゲーでは、ユーザーは2人の他人に影響を与え、そしてその結果を眺める。ここで困るのが、普通に主人公を学生とかにして「仲直りしろよ」とかいう言葉でNPCへの干渉を行うと考えた場合に、「結果を眺める」のが「覗き」になってしまうじゃねーか、ということである。「こっ……この前は……ごめん」「(視線をそらしつつ)いいのよ(汗)……あたしもさ、い、急いでたからさ(赤面)」とかいうやりとりは楽しいが、その2人を見ている主人公は覗き野郎のピーピングトムではないか。てか、そのシーンを意識的に演出するんだから、これはかなり変態で、ユーザーの感情移入が妨げられるだろう。
では主人公は何であるべきか。学校にすみついてる妖精、宇宙船を管理するコンピュータ、戦闘部隊の隊長、豪華客船の船長……いずれも、NPCを常に観察しつつ、時に彼らに干渉するという行為を自然に行えはしない。
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望みがありそうなのは演劇部の部長である。
部会議:次回の演目を決める。配役を決める。
劇の練習:バストアップの顔グラフィック+台詞の「紙芝居」、またはポリゴン芝居。プレイヤーは発言力を消費して通し稽古に割り込み、演出を行う。配役と演出によってNPC間の人間関係が変化する。
公演:学園祭などで公演を行う。演出が行えない以外は練習と同じ。成否によって発言力が得られる。
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以下、頭の中では続く。
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今日のバカ話。
「CLAMPがカイジを、福本伸行がちょびっツを描くヤングマガジン」
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TOBA SUPER AQUARIUMの漫画を読み萌えつつ。
こういう画像貼り付け式の漫画って、台詞(のルビ)や書き込みが読みづらいことがある。読めないこともある。コマごとにaltで文字情報を書いておいてくれると嬉しいな。盲人にも嬉しいだろうし。
メール[管理人伊藤悠 / ITO Yu / FZR02073---a---t---nifty.ne.jp]
この日記は、GNSを使用して作成されています。