bでも十分上にソートされるはず日記
2001/11 その2

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2001/11/13 (火)

[傍点の話。ブラウザでのテキスト選択範囲。(web)]

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1999年10月21日からの続き
 「こうなれHTML」での傍点について、コメントをいただいたのでためしにやってみる
 ふむふむふむ。
 弱点はフォントサイズを固定にしなければならないことと、画像非表示の場合にお手上げということか。

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 この人、agendaのそふぃあさんの言うことをしばらく流し読みする。ここの「アクセシビリティ@9/21」*1
 googleは強力だ。いっそリンクはすべて<a href="http://www.google.com/search?num=50&hl=ja&q=%8Ew%97%D6%90%A2%8AE+URI+google+%82%BB%82%D3%82%A1%82%A0%82%B3%82%F1&btnG=Google+%8C%9F%8D%F5&lr=">とでもしてしまったらどうだと思うときもある。

* 1:
 ところで、ここってどうやって各個の日録にリンクすればいいのだろう。<a href="http://members.jcom.home.ne.jp/jintrick/Personal/d200109l.html#d2001_09_21b9">とやってもうまくいかない。当方IE5.5のSP2。

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 さらに流し読み。ここの「ブラウザでのテキスト選択範囲」。
 ブラウザで範囲指定・コピーする際にどうもやりづらいと思っていたら、連中がそんな巨大な世話をしてくれていたとは……許せん。俺は俺の好きな範囲をコピーするんだ、単語単位だのブロック要素単位だの、ほうっておいてくれ。たとえば範囲指定を単語単位でしかやらせてくれないエディタで仕事させられたとしたら、僕は1週間で気が狂って製作者を殺しにいくだろう。いや、その状況では100人が99人そうするだろうから、気が狂うという表現は不適だ。それが正常だ。


2001/11/14 (水)

[HTMLのダンス。盲人と機械処理。(web)]

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 さて、HTMLやらCSSやらでwebページを書くことについて、けっこう抽象的な話を考えてみよう。
 僕は、文法的に正しいとか、好ましいとか、規範に則ったとかいう例のアレは、かなり小笠原流礼法みたいなものなんじゃないかという疑問を抱いている。
 文法的に正しいことは格好良い。で、それ以外のメリットがあるだろうか? われわれ文法を意識している人間が、その集団の中でダンスを踊っている*1だけではないのか? ステップを眺めるかわりにソースを読んでいるのでは?

* 1:
 ダンス:その集団の中で通用しているルールをうまく踊れているかどうか、互いにチェックする競技。舞踏会。

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 ここで客観的な基準になりえるのは、盲人と機械処理の2つではないか。ではそれぞれについてみていこう。

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 盲人のためのwebページの書き方については、バリアフリーWebデザインのための7つのポイントなどがある。
 まず思いつくのは盲人用ブラウザをインストールし、目を閉じて自分のページを聴くことだが、盲人用ブラウザにはスクリーンリーダという画面音声化アプリケーションが必要らしく、しかもどれも38000円とかごつい値段をしている。なんてこった。MS-DOSでならフリーソフトがあるみたいなんだが。
 と探していたら、ボイス・サーフィンというソフトの体験版を発見。落として聴いてみる。
 ……なんかHTMLの文法がどうのとかからかなりずれた問題だな、これは。僕お得意の冗長な対話文なぞはとても聴いていられたものじゃない。ほかにも漢字の選択、アルファベットの大文字小文字などなど、音声化アプリケーションに読んでもらってちゃんと聴けるか、が課題だ。僕の文章はかなり不合格だ。むむう。

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 次に機械処理について。<p>とか<br>とかを文法的に正しく使い分けて、機械処理についてどれだけの、どんなメリットが生じるだろうか?
 機械処理といってもNamazuでのHTMLの要素によるスコアの重みづけ程度のことがやれるにすぎないのではなかろうか。もし今とつぜん宇宙中のヤカンが凍りつき、世界中のページが文法的に正しく規範に則ったXHTMLとCSSに書き直されたとして、それを機械処理してどれだけ面白いことができるだろうか?
 たいして楽しいことができるとは思えない。僕が想像力不足なのかもしれないけれど。

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 というわけで、どうもダンスじゃないかと思えるのだった。うぬう。


2001/11/16 (金)

[ありそうだ、という台詞を信じてコストは払えねえッス。(web)]

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2001/11/27/01aへ続く。
 11月14日の日記について、坂田さんよりメール。15日0059時着。

坂田です。

日記の感想。チャネルがないので mail にします。やっぱり僕も日記かかなきゃ
だめかし(もう n回め)

http://homepage1.nifty.com/~yu/diary/200111b.html#14

ダンスっていいだしたのは誰なのかしら? 君だっけ? 僕だっけ。こういった要
素があることは同意。
プログラムコードとの比喩が正しいかな。動けばいいというものではない。移
植性、可読性、抽象性 etc といった要素において、実質的な部分と儀礼的な
部分とは不可分。簡単に言える部分的なところをあげれば、

void main() と書いてよいか (ANSI 的にはだめ(int を返す) ただ、たいてい
                            のコンパイラは通す)
int *a = 0 か = &0 か。(pointer なんだから &0 じゃろ、という人もいる)
(a == 3) か (3 == a) か (後者だと、a=3 との間違いが防げるという。これ
                         は愚かなルールと思う)

http://www.st.rim.or.jp/~phinloda/cqa/cqa6.html

みたいな感じ。人とか環境によるでしょう。


うれしい点のみつもりが少ないのはやや不同意。

見出し(H?)、列挙(UL,OL)、段落 (P)

の 3点が徹底し、見かけの要素が全部 CSS に行ってくれれば

・UserSide CSS が使い物になる
   画面のフォントサイズ、行間などを自分の好みで上書きできる。逆に言え
   ば、各 Page が fontsize independent に書くことを要請される。
   色とか、	インデント幅も自由。すばらしいにょ。
・機械処理
   ぜんぶのページが(CSS を除いたところでは) awk のマニュアルのような構
   造をもつと思いねぇ。さすれば。
     自動目次 … しかも n段ひらける。
	 用語一覧/索引生成 … 要素を em にするのはちょっとあれだけど。ま。
   *ページの作者が用意しなくても* 手元でできるというのが重要。
・可換性
   html2〜 がとっても書きやすくなる。使いものになる。

とか。他にもいろいろありそうだと思うよ わたしゃ。

いじょう。じゃ。
 まず、日記は持っといたほうがいいでしょう。すごーく稀に書くのでもいいでしょう。自分の発言を引用されるのとリンクされるのとでは雲と泥の違いがありうると僕は思います。
 ダンスという言葉を使ったのはどっちでしたっけね……ずいぶん昔の散歩の際だったと思います。楽園の東側の裏道を歩いてた時かな。
 さて、プログラムとの類比について。たしかに似た問題です。違いは、不特定複数の人間の再利用可能性が多いか少ないか。ソースを他人が再利用する可能性が高ければ高いほど、規範を守る意義が重くなるでしょう。プログラムではその可能性は高い。HTMLではどうだ?
 その可能性は低いのでは?
 僕は、他人のHTMLのソースを再利用している例を見たことがありません。ありますか?
 「ぜんぶのページが(CSS を除いたところでは) awk のマニュアルのような構造をもつ」というのは、想像できます。フリーソフトの動作説明ページが正しいHTMLで書かれていて、それに手元でperlかけて目次や索引をつくるわけね。うん。想像はできます。
 <傍点>で</傍点>、<傍点>あんたそんなことしたことある</傍点>?
 文法的に正しいサイトの文章をhtml2fooにかけたこと、ありますか?

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 UserSideCSSですが、<傍点>僕にはすばらしくはありません</傍点>。僕が恋人にスパゲティを作ってあげると仮定します*1。そのとき、パスタとソースを分けて出して、「僕のソースが気に食わなければ君の持ってるソースでも醤油でも好きなものをかけて食べてくれ」と言うようなものです。その時、僕は立派かもしれませんが、醤油をかけて食われている間、凹むでしょう。
 「僕が精魂込めて作ったレイアウトが気に食わなければ君がそれを捨てられるよう、精魂込めてhtmlとcssを分離しといたよ」気遣いを無駄にできるように気遣う。USCSSへの対処は立派ではありますがちょっと自己否定的な、微妙な行為です。

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 「理論上面白いことができうる」と言われるだけでは不足です。文法を守っていたおかげで3年後に何か楽しいことがあるかもしれませんが、待ってられません。具体的に、あるいは実際に、「ほら文法的に正しく書いてるおかげでこんな楽しいことができた」と示されなければ、文法を守るコストを他の面に回す人が出るのは当然です*2
 天秤の片側には、テーブルを駆使してレイアウトしたり、固定フォントと画像とでクウゥゥゥルなデズァインをしたりといった綺麗なものが載っています。で、こちら側に何が載っているかというと、たいしたものは載っていないのではないか。
 僕は文法をある程度気にしていますが、思うにそれはクウゥゥゥルさにあまり重きを置いていない、むしろ敵視している、からのようです。

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 プログラムのソースはいくつもの人と機械処理の手を経て変化していきます。何ホップもがありえます。それに対して、htmlソースは2ホップもあるかどうか疑問です。たとえばUSCSSを使って1ホップですが、そこで行止りです。
 そこらへんで勘違いがあるような気もします。

* 1:
 仮定が偽なのでどんな結論も導ける。

* 2:
 当然、というのは僕が表現したい意味からはちょっと強すぎます。{x:仕方ない<x<当然}くらいとご解釈ください。

[ゲー研その3。やおいゲー。仲人ゲー。演劇部ゲー。(game)]

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 ゲーム研究会第3回。ギャルゲーについて茂内さん。やおいゲーについて小柳津さん。聴衆6人。
 「王子様LV1」というボーイズラブゲー(全年齢。別売CDによりCG追加18禁化)を紹介される。システムは伝統的なランスや闘神都市で、ダンジョン1つ、イベント、男の子モンスター。面白いのは、主人公の坊ちゃん王子Aと気配り苦労人系付き人B、そしてBに絡んでくる耽美系Cという3人の人間関係が描かれている点だ。
 ときメモを性を軸にして反転させるとアンジェリークになるとしよう。これは対称だ。だが王子様LV1の三角関係を反転させて、女の子が3人で色事を匂わせつついちゃいちゃするギャルゲー、というものを想像すると、これは、ない。
 ここに非対称性がある。以下、乱暴な議論。細かい例外は許せ。

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 ギャルゲーの描く物語とは、

主人公(男) ←好感度p─ 婦女子

という矢印のドラマである。婦女子のもつ主人公への好意が紆余曲折したりしなかったりして上昇していく過程がユーザーを破壊する。
 ここで、右向きの矢印はないか、弱いことに注意したい。小説や映画や漫画では左向きの矢印と右向きの矢印との2本のベクトルが描かれることが多いが、ギャルゲーでは、夫男子が娘っ子を徐々に好いていきカタルシスとともに告白するというドラマはないのだ。われわれは浩之の赤面を見ないし、もし見ても喜ばない。
 対して王子様LV1では、

王子 → 付き人
王子 ← 付き人
耽美 → 付き人
耽美 ← 付き人

の4つのベクトルが楽しみうる。耽美が付き人に絡んでキャー、それを見た王子が狼狽してキャー、そこで付き人が赤面しつつ弁解してキャー、などなどである。萌え転がれィ。
 ときメモの人間関係が*字型なら、王子様LV1はL字型である。ときメモの矢印はすべて中心を向いており、王子様LV1の矢印は両方を向いている。

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 さて、このような矢印がユーザーに対して一定の破壊力を持つとすれば、矢印の本数を増すことでユーザーを粉砕できるだろう。ときメモでいえば、婦女子の同時攻略を可能とすればそれを実現できる。しかし、実際にはそうはできない。なぜなら12人の中からの婦女子の択一というジレンマを除いてしまうと、ときメモのシステムは成り立たなくなってしまうからだ。
 ガンパレードマーチでは主人公が(目からビームによって、文字通り)*字型の人間関係の中心になりえる。この攻撃力も壊滅的である。ただし複数の異性を同時攻略した際に罰(争奪戦)が用意されていることは興味深い。GPMの面白さがどう生じているのかはよくわからないのでここでは踏み込まない。
 エロゲーであるが、同級生は14本中11本の矢印の同時攻略が可能であり、かつその時もシステムは破綻しなかった。これは<傍点>エロゲーだから</傍点>であろうか? そうかも。

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 *字型、ヒトデ状の人間関係を超えて、ネット状、ウェブ状の人間関係を双方向矢印でもって表現できればユーザーを爆殺できるはずである。他人の恋愛(に限らないが)関係に干渉し、その結果を鑑賞する。仲人ゲー。ではこの仲人ゲーについて考える。
 仲人ゲーでは、ユーザーは2人の他人に影響を与え、そしてその結果を眺める。ここで困るのが、普通に主人公を学生とかにして「仲直りしろよ」とかいう言葉でNPCへの干渉を行うと考えた場合に、「結果を眺める」のが「覗き」になってしまうじゃねーか、ということである。「こっ……この前は……ごめん」「(視線をそらしつつ)いいのよ(汗)……あたしもさ、い、急いでたからさ(赤面)」とかいうやりとりは楽しいが、その2人を見ている主人公は覗き野郎のピーピングトムではないか。てか、そのシーンを意識的に演出するんだから、これはかなり変態で、ユーザーの感情移入が妨げられるだろう。
 では主人公は何であるべきか。学校にすみついてる妖精、宇宙船を管理するコンピュータ、戦闘部隊の隊長、豪華客船の船長……いずれも、NPCを常に観察しつつ、時に彼らに干渉するという行為を自然に行えはしない。

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 望みがありそうなのは演劇部の部長である。

部会議:次回の演目を決める。配役を決める。
劇の練習:バストアップの顔グラフィック+台詞の「紙芝居」、またはポリゴン芝居。プレイヤーは発言力を消費して通し稽古に割り込み、演出を行う。配役と演出によってNPC間の人間関係が変化する。
公演:学園祭などで公演を行う。演出が行えない以外は練習と同じ。成否によって発言力が得られる。

「部会議-練習数回-公演」のサイクルを数回行う。そして卒業で締める(べきか?)。
 演目(部会議で決定される)がラブロマンスなら、練習を通じて劇の主役とヒロインとの恋愛関係が進展する。主人公がその劇の主役につけば、ギャルゲーとして楽しめるだろう。部長・演出家として2人のNPCの仲をとりもてば、やおいゲー的である(その場合、演目は友情ものや英雄ものとなろうか)。
 NPC間の人間関係の変化をどう表現するか? ドラマをシナリオとして作りつけておくのは下策である。なぜなら、ウェブ状の人間関係において各人間関係のシナリオを最初から用意しておくには途方もない労力が要るからだ。n人によって構成されるウェブにはnC2の線がある。これは莫大な数になる。その数は、敵にするのではなく、味方につけなくてはならない。作るべきは膨大なシナリオではなく、膨大な順列組み合わせのそれぞれにドラマを生みやすくするシステムである。
 劇を「紙芝居」で表現しているのなら、台詞の語調の変化でもいいだろう。声を入れているなら、同じ台詞で語調の違う声を数種類用意しておいてもよかろう。ポリゴン芝居で表現しているのなら、キャラの立ち位置やモーションがアナログに変化していくのもよかろう。ここが肝なので、もっともっとアイディアが必要だ。劇以外の学園生活で、たとえばバレンタインでのチョコのやりとりや、デートイベント、手作り弁当などを描く手もあるが、その際、「覗き」性をできるかぎり抑えるよう注意しなくてはならない。
 公演では照明や音楽のタイミング、大道具小道具の出来なども評価され、獲得発言力につながる。これは担当のNPC(配役の際には、役だけでなくこういった裏方も決める)の能力にも依るが、主として解くべきパズルとしてユーザーに与えられる。
 後は友情漫画、友情映画、友情ゲーム、友情小説、恋愛漫画、恋愛映画、恋愛ゲーム、恋愛小説、萌え漫画、萌え映画、萌えゲーム、萌え小説、やおい漫画、やおい映画、やおいゲーム、やおい小説を読みまくってそれらの成立条件をとらえ、このゲームに突っ込む。てなもんか……

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 以下、頭の中では続く。


2001/11/19 (月)

[福LAMP。(comic)]

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 今日のバカ話。
「CLAMPがカイジを、福本伸行がちょびっツを描くヤングマガジン」


2001/11/20 (火)

[アメリカザリガニ。(comic)]

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 TOBA SUPER AQUARIUMの漫画を読み萌えつつ。
 こういう画像貼り付け式の漫画って、台詞(のルビ)や書き込みが読みづらいことがある。読めないこともある。コマごとにaltで文字情報を書いておいてくれると嬉しいな。盲人にも嬉しいだろうし。


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メール[管理人伊藤悠 / ITO Yu / FZR02073---a---t---nifty.ne.jp]

この日記は、GNSを使用して作成されています。