bでも十分上にソートされるはず日記
2001/11 その3

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2001/11/21 (水)

[ヘルシング。のっぽさん。(animation)]

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 「ヘルシング」1話をまあしぃ(表記はこれでいいのだろうか)に借りて見る。たいへん残念なのは、婦警のキャラデザがかなり変わってしまっている点だ。漫画ののっぽな婦警はえろえろだったが、アニメの婦警は普通の女の子キャラとの差別化が難しい。
 漫画ではアーカードがアライグマで婦警がラッコだったのだ。ラッコがあぶあぶ(擬音語。うろたえるさまを表す)してたから萌えたのだ。アニメで小柄な娘っ子があぶあぶしてるのはシマリスがあぶあぶしてるようなもんで似合わない……もとい、似合ってしまって面白くない。


2001/11/22 (木)

[ゲー研その4。俺屍、自分ルール、演繹と帰納。(game)]

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 ゲーム研究会その4。小柳津さんと僕による「俺の屍を越えてゆけ」。小柳津さんは時短クリアをやりこんでいる様子。

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 自分ルールの類別。

束縛型。縛り。制限。禁止。封印。
時間投入型。レベル上げ。アイテム集め。
最善型。タイムアタック。時短クリア。低レベルクリア。初期装備クリア。

 束縛型では、自分ルールを決めて、守っていれば後はクリアすればいい。自分ルールの内側では好きにしてよい。
 時間投入型には果てがない。無限。いや、正確には999999999レベルとかで終わるのだろうけれども。
 最善型もかなり時間が投入されるが、比較的果てが近い。理論値が発見されて、そこまで行ったら終わる。

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 俺屍の「速瀬」が迷宮マップでは移動速度up、戦闘では行動速度upとして使える……というようなことを小柳津さんは「ポリモーフィズム」と呼んでいた。オブジェクトオリエンテッド方面の用語らしい。

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 将棋やチェスは、ユーザーがルールをわかっている。わかっているルールを演繹して有効な戦略を、強い定石をつくっていく*1。公理から定理を導いていく。数学屋さん的だ。
 コンピュータゲームではコンピュータがルールを運営し、ユーザーはそれを知らない。ブラックボックスを現象から帰納して推測していく。観測から法則を得る。自然科学屋さん的だ。

* 1:
 細かく言うと、ルールのあるところに目的が与えられることで、戦略を考えられるようになるとも言える。
 ……この場合、ルールと目的とに違いはあるのだろうか。あるなら、何だろう。

2001/11/25 (日)

[雨雨降れ降れ母さんが。(diary)]

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 8階から水漏れ。机の上に散乱しておいた書類がしわしわに。お、おのれー。
 まあモニタやハードディスクが死ななくてよかった。


2001/11/27 (火)

[形式段落と意味段落。(web)]

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2001/11/16/01aからの続き。
 agendaさんの2001年11月中はここ。その後はたぶんここになる。(間違ってたらすみません)

 14日に僕が「機械処理」と書いたのは、「見栄えに関するもの」とは別のものです。

 「ふと思いついた小ネタ」の<p>と<br>に関してですが、2001年3月に書いた日記をお読みいただけると嬉しいです。そふぃあさんの挙げられた2例のうち、僕が悩んでいるのは第2のそれですね。
 ご紹介いただいた文書の骨格となる基本要素 -- ごく簡単なHTMLの説明を読むに……なるほど、「形式段落」と「意味段落」と呼ぶのか。これは意味段落と呼ぶことになるか。ふむふむ。


2001/11/29 (木)

[ゲー研その5。ロボット。エースコンバット4。(game)]

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 ゲー研その5。僕による「ガンダム・ガングリ・AC・チャロン/ロボゲーのロボ観的分析」。前に書いた話をする。さらに討議。
 ロボを戦車として解釈する作品とロボを航空機として解釈する作品とがあることはよく知られているが、パワードールはロボを歩兵として*1解釈している。これは一周していて愉快だ。

* 1:
 「相手を視野に収め、相手から気づかれていないこと。そして、自由に移動できるということが歩兵の最大の武器であって、手にした銃は最後の手段に過ぎない」ギャビン・ライアルがこんなようなことを言っていた。

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 プリンセスメーカーを女の子ロボでやったらどうなるか。パラメーター変換+戦闘。バイトのかわりに戦闘で資金を稼いで、「いい子にしてたか? 右腕買ってきてやったぞ」てなもんか。着せ替え人形をする。銃夢「わたしはイドの人形じゃないわ!」からテーマ的には後退することになるが、「首を拾ってきて育てる」というモチーフはちょっと前に流行った*2し。
 陳腐か。

* 2:
 tomak。

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 エースコンバット4。

ストーンヘンジの伏線・圧迫
少年のサイドストーリー
および以下のウソ無線
上陸部隊をはじめとする地上の歩兵(敵も味方も)
友軍機(EWACS、僚機)
敵機
レポーター
護衛対象
軍艦

 による多角的な言及による自己認識。他者が主人公に語りかけ、主人公について語ることで、主人公の存在が確認され、プレイヤーは英雄となる。-->オチ「英雄は確かに存在する」。
 ここで、どれがジャン・ルイなのか、黄色の4なのか、黄色の13なのかは確認されず、特定の番で倒した敵機がそうだったのだと事後的に決定されるのが面白い。AC1-3では、パイロット名が機体脇に表示され、それの撃墜の是非による分岐などもあったが、AC4では分岐はない。

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 AC4では、他者は自分を確認しているのに、自分は他者を確認していない。鈍色では、自分は他者を確認しているのに、他者は自分についてほとんど何も語らない。なぜ排他的なのか? 両方を語るだけのマンパワーとそれだけの必要性がないのか? GPMでは……両者が確認される。
 AC4の自分は、英雄としてでないと名を呼ばれない気がする。鈍色では英雄でなくても呼ばれるが、これは自分が特異点でないため、「隣で戦っている」ためか。自分が死んでもリチャードか誰かが後継して戦っていくんだろうと思える。そんな演出があってもよかったか。

参考:茂内2002『ビデオゲームにおけるメディア特性——物語性と主人公に着目して』pp.76-83


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