bでも十分上にソートされるはず日記
2001/12 その2

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2001/12/19 (水)

[再利用、トレードオフ、鼻紙。(web)]

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2001/12/26/01aへ続く。
 Piroさんのoutsider reflexの11月19日
 うわ、Mozilla用コンテキストメニュー拡張なんていうすごいものを作っている人に突っ込まれてしまった。詳しい人に教示してもらえるという意味ではラッキー。若輩者ですが、よろしくお願いします。

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 まず、

他人の HTML のソースを再利用している例を見たことがありませんとのことですが、ソースをしこしこ編集して再利用してる人よりは、前述のような先進的なブラウザを使うことで知らず知らずのうちに再利用の恩恵にあずかってる人の方がアットー的に多くて、つまるところ、再利用は既にされているのです。
 文意がよくわかりません。くわしく説明してもらえないでしょうか。

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 次に、

iCab や Opera6 のように「文法的に正しければ有効に働く便利な機能」を実装している UA は既に存在しますし、拙作コンテキストメニュー拡張の各機能も当該文書がきちんとした HTML 文書であることを前提に制作してます。
 とのことですが、ページ制作者がiCabやOperaに対応したHTMLソースを書くコストが、iCabやOperaユーザの得る利益に引き合うでしょうか? 書き手のコストと読み手の利益とのトレードオフは、プラスになるでしょうか*1
 あるいは、読み手の利益にだけ着目して考えてみることもできます。僕は、文章が面白くて文法がズタボロなウェブページをよく読みます。そのページの作者に、
「HTMLやCSSを勉強して、もっと文法の正しいHTML文書を書いたほうがいいですよ」
と言おうとは思いません。それよりも、
「かじってみるとHTMLの文法も面白いです。だけど、そんな手間暇の間に、あなた、その調子の文章をもっと書いてください。続きを読みたいのです」
と言うでしょう。文章による読み手への利益が、文法による読み手への利益を上回る。もっともこれは、僕がiCabやOpera6を使っていないからそう見積もるのかもしれませんが。

* 1:
 ウェブページは、読む人間に対して書く人間が非常にたくさんいるメディアです。ですから他のメディア(ただし会話は除く)とくらべて再利用性が犠牲にされ(てよい&&やすい)と思います。
 ん? 今僕は、ウェブページが本来予想されていたものとは違うメディアになってしまった、と言ったのか。すなわち、
「再利用? そんな夢を見たこともあったけど、忘れちまったな。数だよ、数。キリだろうがクズだろうが、100万人にキーボードを叩かせればシェイクスピアが生まれる。ズキだろうが蓼だろうが、100万人に読ませれば誰かが喜ぶ。その100万人どうしをgoogleがつなぐ。それがHTML文書の主要な価値なのだ、いまや」
「彼女はもう、そんなふうにしか幸せになれないのさ」
「違う! 姫宮は、正しい文法を書きたいって……そうだろ? 姫宮!」
「禁止禁止! ウテナネタは禁止です!」

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 それから、

ああ、あと、 HTML と CSS の分離というのはその理念からして「店主が糖尿病の客に既定のアブラたっぷりドレッシングと客持参のあっさりノンオイル紫蘇風味とを使い分ける権利を保障しよう」みたいな話ですから、そういう方針が嫌いなら──どんな客であれ自分が誇りに思う自慢の味を味わってもらいたい店主なら、 PDF や Flash を使えば良いのです。余所は余所、ウチはウチ。前者の店主が後者の店主を弾劾する権利はどこにもありません。ただ、 HTML は HTML4 Strict 以降は前者の方針のための道具として改めて純化されていく(った)ので、後者の方針の人は後者の方針のための道具を使ってくれ、と。それだけの話でしょう。
 とのことですが、PDFを無料で書くにはまわりくどい手間がいりますし、Flashはgoogleで拾ってもらえません。PDFとFlashとHTML+CSSとの違いは、内容とスタイルとの分離という点だけにあるのではありません。違いはたくさんの点にあります。
 W3Cは内容とスタイルを分離しようという考えからHTML+CSSを作ったかもしれない。でも彼らは、当然ながら、その普及のために努力をし、その努力は内容とスタイルの分離という点だけに行われたのではなかった。努力はさまざまな点に行われた。だから、内容とスタイルの分離以外の点に魅力を感じるユーザも生まれた。

 言い換えると、
 HTMLのいいところは、閲覧者の環境に依存しない可読性。だけではありません。他にもいいところが複数あります。そうした他の利点を十分のばすことができるのなら、環境非依存可読性を犠牲にしてもひきあいます。トレードオフです。
 無料{タダ}で書けるPDFとしてHTMLを使ったっていい。金銭を重く見積もってコスト・ベネフィットを計算するなら。貧者のPDFとして、HTMLは十分役に立つだろう。

 言い換えると、
「あんたのところはいつもティッシュペーパーが用意されてていいね。僕は食事のあとで鼻水が出るたちでね。ちゃんとティッシュが、しかもクリネックスがある! こうでなくちゃね。向かいの店のネギラーメンも好きなんだが、ティッシュの有無の差でこっちだね」
と誉められたラーメン屋さんはどんな気持ちでしょう。
 彼は「うちはこってりとしていてそれでいて後味すっきりの豚骨ラーメンが売りなのに。まめに掃除をしたり雑誌を揃えたり、おしぼりや鼻紙を用意したりするのは、それを伝えるための手段にすぎない」と思うかもしれない。でもしょうがない、そんな好意もある、そんなユーザもある、それを得るためにティッシュを用意したのだ。


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