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2002/06/22/01aに関連資料。
娘っ子関連の話題へ続く。
従来の研究では、血縁・妹属性の意義はその初期好感度の高さ*1と、背徳性とにあるとされてきた。しかし本稿では、背徳性を超えた概念である「防御力」および「攻撃力」を提案し、萌えにおける王道=エロ無し=スタンディングスタイルと、覇道=エロ有り=グラウンドスタイルとについて述べる。
シスタープリンセスは登場12人の娘っ子すべてが主人公の妹であるギャルゲー(およびその設定冊子群と雑誌掲載SS。これら出版物媒体とゲームとの主従関係は疑わしい)である。これら妹は主人公に対して信じがたい攻撃をしかけてくる。いわく「お兄ちゃん、一緒に寝ていい?」*2であり、いわく「なんかすーすーするよぅ」である。その攻撃力は鑑賞者をして目を覆わしむる。そして万人が疑問を抱くすなわち、なぜ押し倒さないんだこいつ、である。
現実的思考にしたがえば、これら妹による攻撃は試合を開始後2秒でグラウンドポジションに持ち込むものである。
だが、主人公は決して寝技を使わない。主人公は、妹の信じがたい破滅的攻撃を、同じく信じがたいとてつもない純朴性と朴念性と無意識と偶然性とその他その虚構世界の神の御心から成るあらゆる性質でもって、つまり抗い難い力に抗する不動の一点のごとき防御力をもって、防御し回避するのである。
景太郎にごくわずかでも現実的甲斐性があれば、ラブひなは一瞬にしてエロシーンに突入して連載第2話で完結するだろう。そしてそれは、鑑賞者の望む物語ではない。望まれるのはもてもて状況であって、状況の実利用ではない。鑑賞されるべきは激しい攻撃行為が試みられることであって、それが成功することではない。つまり、攻撃行為はなされるが、それに対する防御は必ず成功しなくてはならない。物語の価値は娘っ子が主人公に対して行う攻撃の、その攻撃の技術と威力とを誇示するショー部分にある。白黒つけるガチンコなセメント勝負など人々は欲していない。もとい、その欲求は地下闘技場(エロ同人)で処理される*3。
そしてこの関係を保証するものとして、血縁があるのである。ラブひなにおいて、景太郎はその朴念性をおもうさま発揮したが、ついに逃亡およばず、成瀬川と結ばれねばならなかった。その物語的進展を押し留めることは少年マガジン350万人読者をもってしてもできなかった*4。
しかしシスプリの兄と妹はその関係性において不動である。それは、二者の間に決して冒されることのない一線として血縁が存在するからである。これが二者の愛・被愛(攻撃・防御)関係を動的安定状態のまま確証し維持するのである。シスプリ・ハピレスにおける血縁は打ち破られることを内包した従来の背徳的血縁ではなく、決して破られぬ鉄の幕、主人公をスタンディングポジションのままに保持する支持構造としての道徳的血縁であったのだ。
ロミジュリにおいて、激しく高質量な愛情表現の拮抗物・障害は、二者を取り囲む親族レベルでの社会的状況であった。これはしかし、愛・被愛の二者関係に第三者・第四者を導入することにほかならない。それらによって、愛情表現=攻撃のベクトルは本来の目標たる被愛者からいくぶんなりとも逸れてしまう。シスプリ・ハピレスにおける血縁はカウンターウェイトとして防御者=被愛者の中にあり、愛情表現攻撃の純化を完成させた。
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