bでも十分上にソートされるはず日記
2002/02 その3

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2002/02/23 (土)

[娘っ子について感想を言う権利におけるPCとプレイヤーの対立。YU-NOの時間移動能力と自覚。本懐。(game)]

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2002/04/30/02aへ続く。
 プレイヤーキャラクター(以下PCと略)が状況を描写し、物事について感想・コメントを述べるゲームは多い。たとえば同級生式に「駅前ビルだ。ここの1Fのラーメン屋はうまいんだぜ」とかである。この感想が娘っ子におよぶことがあり、「おっ、かわいい娘だな」などとなる。わたしはギャルゲーでこれをされると不愉快になる。しかし非ギャルゲーにおいては、たとえば推理ADVや戦争SLGにおいては、気にならない。これはさて何故か。
 登場する数人〜十数人の娘っ子の中から誰を選ぶかは、ギャルゲーにおける主要な意志決定である。ときメモで言えば能力値をどう上げるか、TLSでいえば放課後どこへ行くか。こうした行動は、並み居る娘っ子のうちの一人を選択することであり、雑に言って、このタイプのギャルゲーをプレイするということは、いろいろと迂遠な手間を経由して、自分の好きな娘っ子を決めるということなのである。コスティキアンは、ゲームの本質のひとつに意志決定を挙げた(言葉ではなく、デザインのみが、ゲームを語ってくれる)が、その伝でいけば、ギャルゲーにおける最大の意志決定は娘っ子の選択にあり、それがギャルゲーの本質である。
 ゲームのPCとプレイヤーとの間には、一種の対立関係があって、「なにしやがんだこの主人公野郎。(俺はそうは言わない||それは俺が言う台詞だ)。てめえはひっこんでろ」という瞬間にそれが顕在化する。ギャルゲーでは、ある娘っ子がかわいいかどうかという意見を、PCが述べてはいけない。娘っ子に関して評価を行う権利、娘っ子に関する意志決定を行う権利は、プレイヤーのものであって、PCのものではない。いいかPC、よく聞けよ。お前は夕焼けがきれいだとか、カレーパンは嫌いだとかは好き放題言うがいい。描写できるだけ情景描写し、思うところを述べまくれ。そういった評価はやってよろしいかまわん。だがな、どの娘がかわいいかは、俺が決めることだ。お前じゃない。
 感想を言う権利というものがあるのだ。そしてギャルゲーにおいて、娘っ子に関して、それはPCのものではなく、プレイヤーのものなのだ。
 娘っ子選択型ギャルゲーでなければ、PCが娘っ子を評価してもよろしい。たとえばYU-NOなどの、娘っ子の選択のないADVでなら、PCが「この娘かわいいな」とか「こいつは顔はいいんだが性格が悪いんだよ」などと言ってもかまわん。結局のところプレイヤーは全ての(娘っ子の)話を読む。順番くらいは選べるかもしれんが、全部読む。したがって、娘っ子選択権がもともとプレイヤーにないので、それがPCの感想によって侵犯されることもないのだ。しかしその場合にはその場合で、侵されていないものが別にある。YU-NOでは、PCの台詞がうまく処理されておらず、時間移動能力を自覚していないなど、矛盾を生じている。そしてこれは、プレイヤーの権利を守っている。YU-NOにおける時間移動はプレイヤーの本懐、主要な意志決定の場である。そこにこそプレイヤーのすることがある。それについてPCが独白したらどうなるか。「ああっ、娘っ子が死んでしまった。だが、この宝玉で時間移動すれば、きっと助けられる。待ってろよ」……お前が言うな。俺の台詞だ、俺の、俺の!
 YU-NOにおいて、PCが自分の持つ時間移動能力を忘れたかのようにふるまうことで、プレイヤーは自分の持つ時間移動能力を自覚するのだ。
 もし、風景写真撮影ゲームなどというものがあったら、そのゲームのPCは、娘っ子だろうが小僧っ子だろうが人については好き放題に感想を述べてよいが、風景については感想を言うことは許されない。「きれいな夕焼けだ」と言ってはいけないのである。

 参照:TINAMIX Review ゲームシステムと主人公の性格設定


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