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gpm関連の話へ続く。
ではわたくしめがガンパレード・マーチについて語りますわい。行きます。行くぞお。
GPMはシステムの複雑性が、ある臨界を越えている。まとめるとそういう言い方になる(なおこの性質については、ときメモとの共通点が多数ある? 下の方の
ggを参照されたい)が、まとめすぎなので、詳しく考えてみよう。
- GPMはまずアレだ、もろに「プレイヤーを試す」ゲームだ。もう試しまくり。数値パズル技術について言えば、発言力を軸とした提案・戦闘・日常スキル獲得システムを適宜適時解く能力を試されるし。ここが、ゲームマニア(試されるの大好き人間共)を引き寄せ、同時にゲームマニア以外を弾く点だ。試されたくない連中はノベルゲームでも読み下してろってんだ(優越感。後述)。
- というふうにパズルを解く技術を試すのに対して、もう一つ試されるものがある。それは目標の選択だ。目標についても、GPMはプレイヤーを試す。つまり意志決定で、コスティキャンだ。「お前が望むものは、いったい何だ!」 ギャルゲーやおいゲー的に娘っ子/小僧っ子を選択させもするが、それにとどまらない。
- まったく同じプレイを繰り返すことができない。ランダムな現象が多く、セーブも不便なため。よって読み尽くせないゲームとなる。一回性すなわち歴史。そのプレイは、そのプレイヤーのその一回にだけ起きるものであって、他人のしたプレイと同じものにはならない。鑑賞ではなく経験であるとでもいうか…… どんなゲームにもある性質だが、GPMで顕著。(だから、リセットはあまりしないほうがお奨め)
- なにもかもが連関しており、ある目標を設定すると、そこ以外のシステム構造すべてが、それを達成するための新しいゲームシステムとみなせる。したがって目標の数だけゲームが形成される。どんなゲームにもある性質だが、GPMで顕著。なお多数の目標を同時並列に進行させているとみなすことも可能。
- アイテムコンプリートでLV99で全キャラと仲良くなることができない(一例:争奪戦)。言い換えると、パズル構造がトレードオフを起こすようになっているのですべてを得ることができない。したがって選択が行われ、すなわち意志決定。
- いや、フルマックスフルコンプな人生も、できるかもな? でもその場合にも、何かを犠牲にしている気がする……つまり「だらだら不良学生・不良学兵をする人生」を犠牲にした、と思える。不良学兵人生も面白い、価値があると思える。さらに、もし全エンディング全イベントを見たとしても、読み尽くしたり体験し尽くしたりしたことにはならない、とまで言うと誉めすぎだがそんな感じで。同じイベントであっても、発生の順列組み合わせと状況、つまり文脈によって、違う体験・物語になりえるからだ。喧嘩した友人と仲直りした直後にそいつが戦死するのと、仲直りする前に戦死するのとは違う…… したがって、すべてのエンディングやイベントを読み尽くそうというプレイスタイル・マインドセットは不推奨。自分のプレイ経験は、非常に多数のありえた歴史の中のただ一つだ、と考えることを勧める。
- ゲームは、インタラクティブぅ〜なメディアぁ〜。なので、作品の価値を鑑賞者が決める度合いが高い(映画や小説にもあるが、程度が違う)。先に述べた試練性(なんだこの言葉)や一回性により、GPMではその度合いがかなり高い。つまり、平均値からすごく上の価値を得る鑑賞者もいれば、平均値からすごく下の価値を得る鑑賞者もいる。分散が大きい。→俺はこんなに高い価値を得たぜ。へえ、君はそれだけの価値しか得られなかったの? ヌルいねふふふ。 よって、GPMマニアの優越感および絶賛は、他のゲーム・あるいは映画や小説よりも大。参考:沢月亭内物語作成モデル
- だから、この文章についても、あまり信用しないように。話3割で読む推奨。
- 登場人物の行動に人格が感じられる。のは、アルゴリズムが優秀なためか? むしろたぶん、ゲームのパズル構造・システムの複雑性(構造の良さ?)に負うところが大きい。NPCを包む(連関する)構造(要素)が、NPCの行動を人格あるものに見せることに成功している、といったところか。
- 人間関係の矢印が、ときメモではPCを中心とした*状、星状、ヒトデ状であったのに対し、PCを中心としたウェブ状になっている。言い換えると、NPC間の横のつながりがある(もっともどれくらい機能しているのか僕は知らない)。
- プレイヤーはPCをたくさん、NPCをある程度、自軍をすこし、敵軍をちょっと、世界をわずかに、操作可能である。そうした操作を通じて結果を出し、世界を救うことも可能である(たぶんこのへんで、コスティキャン的に狂喜乱舞)。芝村舞であっても、速水であっても、来須であっても、森であっても、中村であっても……誰でも(半公認裏技を使えば5121小隊全員使用可)。それを目標とし、考えてパズルを解いて、行動に移せば。楽天的で挑戦的な世界観。
- NPCのキャラクター性は、そいつの語る物語(制作者がお仕着せに作って、鑑賞者が順々に読んでいくもの)だけに表れるのではない。そいつの性格はそいつの行動に表れ、あるいはPCの働きかけ(操作)もそいつの行動をうごかすことができる。そして、そいつの物語はそいつの行動によっても語られる。お仕着せ物語式のゲーム(例:kanon)においてプレイヤーは、NPCの物語を読む・進める・分岐させることができるが、GPMでは、もっと多様な物語が実現できる(PCがNPCのどれと仲良くなるか、だけでなく、NPCとNPCを任意に仲良くしたり、そもそも仲良くなる過程を多様に、喧嘩してから仲直りさせたり、できる)。しかもそれは、オリジナルショートストーリーや論文を書いて同人誌に載せるようなゲームの外で行う解釈・記述だけではなくて、ゲームの中で行う行為だ。──この項言い過ぎ。
- 目標の多様性により、パズルの難易度がごまかせる。言い換えると、パズルを解きそこねたゲーム展開にも(ある程度の)価値があって──たとえば先述した不良学兵人生や萌え燃え戦死イベント──それがパズル能力を欠くプレイヤーの受け皿となる。これによってユーザー間のパズル能力の分散問題(参考:ざるの会Online内ゲームデザイン入門3-3-4e「『ゲーム』のマイノリティー性」)を一応緩和できる……か?
『電撃ガンパレード・マーチ』収録の「OVERS祥人のスタンダード嘘ガンパレ講座」によると、まず基本は、NPC同士を恋人関係にすること。そのためには「みんなでお昼」提案を利用し、よけいなキャラとくっつかないよう、クラスや職場を引き離し、あるいは邪魔キャラを一時的に自分の恋人にする──最悪戦死させるなど(「弾は前からくるとは限らないんだよ」)。
ちなみに祥人さん曰く
どんなに好きでもゲームキャラ! 「そのキャラのためにどれだけ手間をかけたか」という形でしか愛情を表現できない… この不器用なプレイヤー心をわかってくれよわかってくれよっ!!
含蓄ある言葉だ。
読み尽くせない理由その2:所要時間に対する情報量 [t]
ゲーム進行が遅い(1プレイ数十時間コース)のに対してデータ量が多すぎる(し、同じ要素でも順列組み合わせによって解釈を変える(こともできる))ため、読み尽くし型ゲームのように遊ぶには向かない。
読み尽くし型ゲーム [na]
読み尽くし型のゲームとは、全データの読み下しを期待しているタイプのゲームである。かまいたちの夜や痕やAirや
DQ(5以外)、アクションゲームやシューティングゲームの大多数など。人物バリエーションの読み比べとしてのかまいたちの夜については、
看板はここに置いていきなを参照。
この逆が、読み尽くしを期待せず、何本かの物語を用意した上で、そのうちの一部だけを読まれることでも満足するタイプのゲームである。同級生や
TLSやkanonなどが挙げられる。
GPMはこの一極例といえる。
情報量と不良学兵人生の価値 [c]
不良学兵プレイに価値が生じるのは、ゲームシステムの複雑性(の生む情報量)のおかげである。たくさんの情報(=経験・人生)を生むことができるからだ。
参考ページ
あたらしいゲームのはなし アルファシステムスタッフによる自画自賛。自意識もレトリックも防御もないのでびびる。珍しい文体だが、パッケージの煽り文句と目的を一にするものなのだろう、話n割で読むのがいいだろう。
コスティキャンのゲームデザイン論
言葉ではなく、デザインのみが、ゲームを語ってくれる 意志決定万歳。本論はほぼこれに基づく。
[gc]
クロフォードのゲームデザイン論
コンピュータゲームは芸術たりうるか 「ゲームと物語の違い」のくだり、因果関係と枝分かれとかが本論と関連あり。
[cc]
馬場秀和ライブラリ内
外へ向かう言葉(後編) 日本TRPG論客の一人。意志決定について、コスティキアンの議論をさらに発展させている。
世界機械内
ガンパレとAI かなりわかりやすく読みやすい。ほぼ同意。
MMORPGの他のプレイヤーをCPUが担当しているのがGPM、ってのはちょっとひっかかった。MMORPGとGPMの違いはかなり大きな違いだと思う。プレイヤーがGPMをそうみなした時にGPMが非常に面白いゲームになる可能性は十分あると思うけれども。こう考えてみると、ゲームについて理屈をこねる行為の一部に、ゲームの遊び方・解釈しかた・みなしかたを提案する行為が含まれるわけだが、これは意識しとかなきゃいけないかもなあ。GPMの社会では発言力が焦点となっているためわかりやすくてウマー、という意見は卓見と思う。
ガンパレでは真の意味でのロールプレイ(役割を演じること)の楽しみ得ることができる。
という箇所には疑問を感じる。ロールプレイって言葉を誉め言葉、なにかふかふかしていいにおいのする言葉だと考えているのではなかろうか。社会がプレイヤーの入力に対して多様なふるまい(出力)をみせることは、べつにロールプレイじゃないと思う(参照:
プロレスにおけるロールプレイングと矛盾)。面白いことではあるが。「リアリティ」も同様の、ふかふかした誉め言葉として使われている気が……(あ、でもそれを言うと僕の使う「意志決定」もそうかも……自戒するふりテスト)
記事数から見たファンパレと謎板の歴史 アルファシステム公式サイトの掲示板での世界観展開の概説。
テクストゲーム史・2/ポストモダン、あるいは「過去のアイロニカルな再考」 教育がどうとか。
どっかのIRCのログ 「コンピュータゲームは膨大なデータと情報の隠蔽によって構成されていた擬似ゲームだったが、AIを意志決定者として用意することで、真のゲームに近づける」
2chのゲーム談義
ゲーム理論について語ろう GPMとはあんまり関係ないが、けっこう面白い。43-49、72、149、274-277「コスティキャン厨」とか呼ばれてる。
ふえ〜ん
5人タクティクスオウガ内
塀の上を歩く あるゲームシステムの目標を変更し、設定しなおすことによって、解くべきパズル構造を異なるものにすることができる。
[aim]