bでも十分上にソートされるはず日記
2002/05 その2

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2002/05/14 (火)

[蜂の幸不幸。(diary)]

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 さて、人間は他の人間とわかりあえなかったり、利害が対立するものだが、しかし、わかりあえて、対立しない状況を考えることもできる。生物学的に。
 そういう社会をつくってみよう。そんなに難しいことではない。生物学的に。
 ある集団を構成する人間すべてが、1人の女性、女王から産まれるとしよう。女王以外の人間は子を産まない。また、女王は単性生殖によって1人の娘を産み、その娘が即位して次代の女王となって、次代の人間を産む。できればクローン技術かなにかを利用して、集団の人数を千人万人としてしまうとよろしい。
 さてこうすると、集団の繁殖利益が個人の繁殖利益と一致する。そのため、この社会構造をざっと100万年、5万世代ほど維持できれば、進化の手が人間を造り変えてくれて、個人を、女王の繁殖成功のために考え、行動し、コミュニケーションする生物にしてくれるはずである。
 そうした個人どうしは、対立せず、わかりあえるだろう。価値観を共有できる。つながれあうことができる。彼等は、互いにわかりあえないと悩み嘆いたりしない。万人億人の人間が、コミュニケーションし、協力し、けっして争わない。これはユートピアだ。ガンダーラ、ガンダーラ。
 さて、ところが、そうした女王を頂点とする集団には、なにかしら解決すべき問題、難題があるはずだ。気候が暑すぎるとか、寒すぎるとか、大陸移動用超弦反応ロケットエンジンのヒューズがとんで替えがないとか、いろいろあると思う。そうした問題に、その集団は一丸となって対処する。このとき、各個人はすべきことをするのであって悩んだりしないが、集団全体としては悩む、と言えよう。ある問題に対してその集団が判断を下すまでの過程、その意志決定には、ああするべきか、こうするべきか、悩みと呼べるような挙動が見られるだろう。
 そして、そうした人間集団が出会い、最も悩むであろう難題とは、おそらく同じような別の人間集団だろう。別の人間集団といかにつきあい、その意図を読み、自分の意図を伝え(あるいは誤読させ)、協力し反目するか、利害を調整するか。たとえば資源を貸したり、返したり、共有したり。それらはとてもとても難しい問題だ。
 だからわれわれのガンダーラにおいては、集団間でのコミュニケーションについて、集団の意識(集団に1個の意識があるとみなすのだ、わが学友よ!)は悩み、苦しみ、恋文を書いたり復讐に狂ったりするだろうと言える。
 その集団の中で人間各個人は、情報を交換するシナプスであり、指令に従って行動する筋肉であり、その個人間のコミュニケーションに悩みはなく、幸福であるだろう、けれども。
 こうして、われらが生物学的ユートピアは、集団を擬人化して、コミュニケーションの悩みをそれに負わせ担わせ押し付けてしまうことであると知れた。
 だから、論理をさらに雑に押し進めれば、なぜわれわれはわかりあえないのか? という疑問への答が出てくる。すなわち、わかりあえないから、こうして悩んでいるわれわれ、わたしのこれと、あなたのそれとは、意識なのだ。わかりあえないがある程度理解できるし、できるだけ理解したい、そういう問題を解くために意識というものがある。意識の任務は、解き難い問題に苦しみ、悩むところにある。それを悩まないようでは意識として失格だ。人間が社会関係の荊の迷路を生き抜く機械ならば、解けないものをしかし解きたいと願う動機を、進化の手が作りつけておかないはずがあろうか。
 む、ここいらへんは陳腐な議論か?
 まあ、いい。話を続けよう。どうせもう長くはなく、すぐオチである。われわれの、他人とつながって集団を構成し何も悩まない1個の細胞になりたいという欲求、あるいは他人と切り離されて誰とも影響を受けず与えず完成されて悩まない1個の宇宙になりたいという欲求。それらはある程度までは実現されていると言えるが、これが……あっ、エヴァンゲリオンの劇場版じゃないか、これは。いまさらあんな大メジャーな作品に着地してしまうなんて、すごく恥ずかしいぞ。回線切って腹切って死にます。ごきげんよう、ではまた──またいつか晴れた日に。


2002/05/15 (水)

[御国を護れ、大日本!(diary)]

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見よ、今日も、かの蒼空に
AWACSの高く飛べるを。

 北側の窓に面しているので、E-767の離陸をしばしば見ることができます(着陸は角度的に気づかない)。でかい、いやあ、でかいですね。この距離であれだけ大きく見えるのだからさすがボーイング。

給仕づとめの少年が
たまに非番の日曜日、
肺病やみの母とたった二人の家にゐて、
ひとりせっせとリイダアの独学をする眼の疲れ・・・

 T-4もよく飛んでますが、散歩中に着陸態勢で頭の上通り過ぎられたときはびびりました。あんなものがサイレン鳴らしながら突っ込んできて機銃掃射してくると思うとたしかにガクガクブルブルです。1940年のフランス兵の胸中が察せられます。

見よ、今日も、かの蒼空に
AWACSの高く飛べるを。


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この日記は、GNSを使用して作成されています。