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3ヶ月遅れで映画ロード・オブ・ザ・リング(ス)の話題。
野安ゆきおドラゴンの3月(前半)
柴尾英令DIARY:2002 MAR.1〜10
>登場人物が白人ばかりで違和感があった。ハリーポッターには黒人いたのになあ。国際的な映画なら、黒人まぜとくべきでしょう。
>おいおい、原作で出てこないものを出せってのかよ。それは無茶ですよ。
ハリーポッターはたしかに「まァ黒人。ポリティカリィコレクトォ〜(テツコ(スーパーミルクチャン))」であった。しかし──
そもそも、ファンタジー世界にさまざまな知的種族を登場させるってのが、人種と民族とを描くことにほかならない。
互いに話が通じる、混血もできる(オークと人間、エルフと人間が混血できるんだっけか、指輪物語では?)、そういう種族が、善の陣営と悪の陣営に分かれていて、オークやゴブリンが愚かで醜く汚らしく悪く、エルフが賢く美しく清らかで善に、描かれている。このへんでもう十分にアレな話だ。つまりゴブリンとかって、ジプシーとかなんでしょう?
トールキン先生は、妖精であったエルフやゴブリンを、人種についての歴史・民族についての歴史のなかに引っ張り込んだ。以後の先生リスペクトなファンタジー物語はそれを踏襲している*1。
スタートレック世界の異星人も現実世界における異民族に相当してるわけで、あれがロシア人であっちは共産主義社会で、などなどだったわけだが。
だからそこにまたわざわざ黒人を出すってのは、話が二重になって、なんかユーモラスかも。その意味でボイジャーの黒肌バルカン人、テュボックって、笑える。
で、そういう人種問題的設定をすること自体は、けっこうよいことだと思う。そういう話をするぜ、人種問題・民族問題に言及するぜ、という意志が感じられるから。弱気な語り手はそれすら避ける。
次に、人種問題的設定をしたうえで、具体的にどんな話をするかが面白いところ。弱気だと、設定をしてもそれをいかせない。強気な人は設定を使って大胆に、きわどい話を作ってくれる。
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