bでも十分上にソートされるはず日記
2003/04 その1

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2003/04/02 (水)

[インタールードの感想。(game)]

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 ドリームキャストオリジナルのギャルゲー。ADV。
・幼馴染:大阪の7倍ぬるい脳と外見智。ぬるさ一本槍のキャラ立てで緩急に欠く。
・ミサトさん:巨乳、おっとり、OL。やはりぬるぬるだが、同僚やいきつけの喫茶店店主などの社会的増援(年齢差)が一画を支えた。
・羊の歌の千砂:弓道。本命。生足。ココロの明日2003/03/18

 千砂は「廃墟にひとりきり→廃墟にふたりきり」という必勝設定である。しかし通常主人公世界と千砂無人世界との重ね合わせがどうこう云々、徐々に混ざっていく展開で語ってしまっているため、ひとりきり萌えとふたりきり萌えの期間が短くなりすぎており、堪能できない。言い換えれば通常世界におけるカウンセラー、無人世界における千葉繁コンビが余計であった。カウンセラーを削って千砂@無人東京、千葉繁コンビを削って主人公と千砂のいちゃいちゃ@無人東京、を描くことで、本来の萌えが発揮され得たはずである。
 「なんでこんな頬のこけた白衣コスとえんえん絡んでなきゃいけないんだ。早く千砂きぼん/☆/☆」→「きたー! よーしパパ無愛想ヒロインにふたりっきりの廃墟案内してもらっちゃうぞ……って即邪魔投入されたよ! 好感度上がる暇ねえよ!」
 全体的にフィーチャーが多すぎる。妖精、妖精の王、天使、犬、千葉繁と北斗の拳のザコ、臭作、変な店、白衣コス、赤木リツコ、ボブカット、カウンセラー、冬木。つまり、1イベントに1フィーチャーを割り当てる勢いである。グラフィック資源の潤沢さがストーリーの面で裏目に出ている。
 1つのフィーチャーで複数のイベントをつないでいくつもりがないっぽい。ヒロイン以外で、2度出てくるフィーチャーが非常に少ない。3つのルートの横のつながりも薄い。
 SF設定は妄想公理からの演繹に遊ぶつもりがないっぽい。場面を説明できれば満足の様子。
 終わりのへんで冬木とかいうですます調の兄ちゃんがにこやかに解説単語を喋り、世界全体を俯瞰する。*ムカつく*。ADVで世界を俯瞰するのは俺だろ!? プレイヤーだろ!? なんでてめーが喋ってるんだ! 去れ! 往ね!
 このゲーム、演算されているいくつかの平行世界と、それを俯瞰する上位の世界、という構図なわけだが、上位世界に人格があるとこんなに不快を催すとは思いもよらなかった。何事も経験だ。
 文章は、具体的描写のかわりに抽象的説明になってしまっているところが多い。主人公のする幼馴染の性格の説明や、千砂のする無人東京の危険さの説明など。
 ファンタジーが千砂と主人公にのみ集約されてしまっているため、幼馴染とミサトさんは通常世界からはみ出さない。結果、ぬるさ(脳の)が異様に感じられてしまう。羽根の生えたリュックサックくらい背負わせて、不思議時空に片足つっこませておくべきである。

 絵は非常に上等で、風と布地の質感や、桜を使った奥行き、えろい生足など、素晴らしい。十分に実用に足る。水準を常に維持しているので脳内フィルタを切り換える必要なしに一枚絵鑑賞に移れて心地よい。


2003/04/05 (土)

[痛いか? まだまだこんなもんじゃねえぜ〜。(etc)]

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 近頃のデモ行進というのは痛いものである。配っているビラも痛ければ掲げたプラカードの文言も痛い。楽器やら演奏しているのも見るに辛い。かなり恥ずかしい。
 ここで注意すべきは、痛いからといってデモやらビラ配りやら署名やらという行為の価値を見損ねてはいけないということだ。
 痛いの痛くないのというのは、文化的な視点である。流行りというかファッションというか、古さや新しさという観点のある世界の評価だ。素敵なものが登場し、流行って類似品がたくさん作り出され、頻度依存で頭打ちになって飽きられださくなり、別の新しいなにかに取って代わられ、古びて廃れていく。その繰り返しの流れに参加して、常に新しいものの中にポジションをキープしていくこと、世界の空気を読み続けること、がファッションというゲームだ。文化の世界だ。
 たとえば反戦というのはここ50年存在しているテーマである。50年は文化的にいって長すぎるため、とっくに飽きられており、かっこわるい。これはいかに装ってもまずムダで、ださくしかならない。どんな才能ある芸術家、気の利いた知恵者にとっても50年は長すぎる。50年前はかっこよかったかもしれない、今はしかしすべての語り方飾り方がやりつくされて残っていない。したがってどうしようもなく痛いのである。
 だがさてデモ行進の価値は痛さかゆさにはない。デモ行進というのは、署名もそうだが、人数頭数による示威行動である。何千人集まった何万人署名したという数の証明だ。数さえ積もれば気が利いていようがいまいが効果をおよぼす。ごく単純な主張を共通項として、目利きもバカもいっしょくたにしてはじきだす大きな数字。そういう粗雑な力だ*1
 連中のやっていることは、かっこ悪かろうが、力ではある。痛いしださいが、非合理的なことをしているわけではない。だからビラ撒いてる連中をあまりいじめないでやってほしい。おねえさんからのお願いだと思って。

* 1:
 こういう書き方もある。われわれは、力の世界で動いているものを「サダムたんハァハァ」だのと文化的視点にもちこんで評価することができる。そうやってサダムたんの気が利いてるとかださいとか、感嘆しあるいは馬鹿にすることができる。しかしサダムたんたち自身は文化ゲームの世界で遊んではいない。そしてデモ行進だの国政選挙投票だのが、こっちとあっちの世界の触れ合っている箇所である。われわれはその箇所に出張っている連中をつい、普段の文化的な調子で評価してしまいがちである。

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 一般に、善いとか悪いとかの類の評価をするときにかっこいいとかださいとかの視点をもちこむのは危険である。かっこいいかださいかという視点においては、善いか悪いかといった要素は刺身のツマ程度の重みしかなく、つまり両者にはあまり相関がない。


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