bでも十分上にソートされるはず日記
2003/05 その2

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2003/05/19 (月)

[大の虫と小の虫。(general)]

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 大の虫と小の虫という図式がある。熱血系の主人公たちが字義額面どおりの正義を貫き、小の虫を守るのに対して、冷血系の悪役がより広い観点から大の虫を論ずる、というシチュエーションである。近年の物語でしばしば見ることができる。
 これは、ほんとうに大の虫と小の虫だけの話ならば、小を殺し大をとるべきという結論が正しい。しかし実は、そうではない。
 字義額面どおりの正義というのは、それを適用した特定の場面における行為としては、小の虫であるが、不特定多数の場面に適用すべきイデアとしては、より大きな虫でありうる。つまり、その場面では冷血系の悪役の判断が善い選択であるかもしれないが、それをあえて棄て、字義どおりの正義を狭量に守ることで、将来起こるであろう同様のケースを牽制するのである。
 力ある悪役は、大の虫と小の虫の二択という状況自体を故意に作り出すことができるかもしれない。自分で状況を作り、そこに力なき村人たちをおとしいれておいて、虫の二択をかけて小を殺し、自己利益を誘導する。迂遠だが有効な手法である。
 熱血系の主人公たちの字義どおりの正義感は、この手法を牽制する。そのような手法を用いる悪役を殴り倒す抑止力である。熱血系正義は一見、近視眼的で考えが浅く思えるが、実は長期的に正しい。字義どおりの正義は実は、小の虫であるとともに大の虫でもあり、悪役の判断は中の虫だったのだ。
 これは、ほんとうに小中大の話ならば、中をぶんなぐって大をとるべきという結論が正しい。ところが実は、そう簡単にはいかない。
 長期的に正しいというのは、同様の条件が将来、十分長く続くと仮定しているのだが、続くかどうかが怪しい。社会がころころと変動し、人々が古い事件を忘れてしまったり、正義の定義が変わってしまうとしたら、そんな大の虫よりも中の虫をとるべきである。だから、中の虫か大の虫かという議論は、将来の社会状況に依存してしまう。一般に、将来の社会状況を予測することは困難である。ある程度考えてみても、万人を納得させる結論が用意しづらい。
 こうして虫問題の解は未来の霧の中に消えてしまい、簡単な答は出せない。だからこそ真の問題であり、だからこそ物語にもちいられる図式として、優れている。
 三千世界の羽虫を殺し、ナオンと朝寝をしてみたい。


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