一般的な話

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学習性とAI無用論

 ゲームにおいてかなり重要な要素として、学習性がある。一般にゲームは、ユーザーに特定の環境を与え、その環境について学習させ、その成果を試験し、また次の環境を与え、学習させ、試験し、という過程の繰り返しである。言い換えると教育の一種である*ed
 さて、がんばれ森川君やワンダープロジェクトJ1、バーチャファイター4のAI育成モード、そういったArtificial Intelligenceを絡めたゲームのヤバいところはたぶん、そこらへんにある。
 これらのゲームのシステムは、AIキャラクターのランダムな行動にユーザーが○×で評価を与えて学習をさせていく、ネズミとスキナーボックスとオペラント条件づけというやつである。ここで問題なのが、ネズミ(AIキャラクター)を入れているスキナーボックス(学習し解くべき課題)が、アクションゲームだったり、アドベンチャーゲームだったり、格闘ゲームだったりすることである。
 アクションゲームやアドベンチャーゲームや格闘ゲームのゲームシステムというのは、解くべき課題としてユーザーに与えられるものであり、つまり人間にとってそれを解く事が快楽であるもの、学習し適応することが心地よい環境である。どんな課題を解くことが人間にとって快楽であるか、十年来探求され最適化されてきたものである。それをAIにやらせてどうする。できる入力が○×だけとは眠すぎる。AIキャラクターが間に入ることで、ユーザーの楽しみが奪われてしまっている*ox
 つまり、ゲームとはユーザーが学習することである、と考えたときに、学習するAIと学習するユーザーとの間に確固たる縄張り争いが生じてしまうのではないか、ということである。そしてもう一つ、学習し適応すべき課題が旧来のゲームシステムであった場合、それは人間へ快楽を与えることに特化しているので、ことさらにAIは余計者となる、ということである。

[ed]教育の一種である
 たいがい、現実世界にとっては意味のない教育ではあろうが、教育である。制作者がユーザーを教育するのだ。

[ox]AIキャラクターが人間の楽しみを奪ってしまっている
 ドラゴンクエスト4の戦闘AIや、ギレンの野望・ジオン独立戦争記の提案・委任システムなどもこれに類するが、学習力が低いぶん比較的マシであろう。
 余談ながら無双鬼@兄鬼(ろっく屋)さんの検証によると、DQ4のクラフトのAIは、AIがザラキを使う→わざと全滅する を数十回繰り返すことによりザラキを使わないよう学習させることができるという。

要素付加リスク

 粗く言って、ゲームシステムは多くの要素を含むほど複雑になり、ユーザーに多くの課題を与え、長期間楽しませることができる。が、これは粗い話であって、裏がある。
 ある技・あるスキル・あるアイテムを新たに実装するたびに、その技が強すぎてゲームシステムをだいなしにしてしまう可能性が生じる。つまりゲームシステムに新たに要素をつけくわえるたびに、その要素が他のスキルや、属性・行動ポイント・地形効果などといった他のゲームシステムを覆い隠し、無意味にしてしまうリスクを冒すことになる*gt
 スタンドアローンなRPGなどでならば、そのような覆い隠す要素ができてしまったとしても、その発見が序盤でなければまあ許される。無闇に強力な技、他を覆い隠す要素を発見し、濫用するという経験は、ある程度の期間楽しいものだからだ。しかし長続きはしないので、長期間遊ばれるゲームたとえば対戦格闘やMMORPGでは看過できなくなる。

 ところで、対戦格闘ゲームについていえば、各キャラクターが持つ技のすべては、二次元空間上で一定範囲の当たり判定と一定時限の発生時間と一定時限の硬直時間が定義されている。したがって攻略本やゲーメストやアルカディアが載せるようなコンボは、パソコン様に計算してもらえれば、人間様の手動テストプレイなしにわかるはずである。つまり確定でつながるコンボはすべてを調べ上げることができ、無限/即死コンボやインバランスな連繋が発売後に発覚することなどないはずである。そしてまた、以下のような行列を自動でつくって、使いどころのない無意味な選択肢を除去したり、混合戦略を解いてキャラクターの強弱関係を調整したりできるはずである。
ほげほげvsはにゃはにゃ
3フレーム有利(+3fr)
地対地距離15〜22ドット(15~22dt)
 の場合の攻防
↓ほげ→はにゃしゃがみガードしゃがみパンチ斜め強パンチ小ジャンプから下P
しゃがみガード0fr+1fr,2dt-2fr+down,30dt,+205dmg
しゃがみパンチ-1fr,2dt+4fr,+8dmg+1fr,18dt,+42dmg-1fr,5dt,-8dmg
立ちガード0fr+3fr,+6dmg-2fr-2fr
昇竜拳+47fr,4dt-down,22dt,-50dmg,-down,22dt,-50dmg-down,42~85dt,-75dmg
「本命は小ジャンプ下P(からの連続コンボで)の大ダメージ。それと斜め強Pでゆさぶりをかけよう。ガードが堅い相手にはしゃがパンで刻む」云々。
 でも実際の対戦格闘ゲームでは、リリース後しばらくは無限コンボや1:9で勝てない弱キャラとか、いるから、こういう解析手法ができない理由がなにかあって僕が見落としているわけだ。何だろう?

[gt]無意味にしてしまうリスクを冒すことになる
 数学のゲーム理論でいう「優越する戦略」のこと。

真空分極

 ゲームとは、本来単独ではそれだけの価値がないものを、それを獲得するために経なければならない資源交換の手順・関係が適切に構成されていることによって、本来以上の価値を持つものに仕立て上げる*mtシステムである。ポエチックに言うとトレードオフや確率統計といった道具を人間心理のあやに沿って振るうことによって虚空に築かれる数学的な幻術である。真空から分離し発生させられる反価値と価値である。

[mt]本来単独ではそれだけの価値がないものを、本来以上の価値を持つものに仕立て上げる
 巨大な敵宇宙戦艦が爆沈する姿や、アニメ絵のねーちゃんの微笑む顔、それらが単独でGIFアニメーションしたりムックで出版されたりしても5000円では買わない、しかしそれらをいわば建前としての目的に設定して、プレイヤーはゲームをはじめる。つまりゴールに置いてあるものは実はゴールで機能するよりむしろスタート地点で、ゴールまでの運動を開始させる呼び水(初動)として働いている。
 4800円が交換関係(つまりシステム)によって生み出された幻の価値である。


壊れている世界の喜び

 ある種のゲームは、世界をシミュレートしようと試みている。特にコンピュータRPGなどでは、物語の舞台としての世界を視覚的に用意し、物語のトークンとしての人々を動的に配置操作する必要があり、その必要のついでに、虚勢を張って世界を模している。しかし(計算力と容量の不足から、当然)シミュレートしきれずに、壊れている。ボロボロに壊れている。
 そういう「世界が壊れている」という世界観は萌える。
 一応見た目は整っている世界に放り込まれるわけよ、我々は。で、さっそく隅っこをつついて確認してみると、やっぱり壊れている。さっき真剣で斬りつけた相手がお茶を出してくれたり、「今あいつに会うと刺される!」とかって逃げ回って裏から手を回して対処してすごい不自然なのにラブラブ状態に復帰できたり。
 その壊れ方の動作確認を通じて、その世界を司る(この現実世界よりずっと粗暴な)真のルールを洗い出し、それを利用して「力」を蓄積拡大してその世界の超人となるのが燃えるっつう。いわば我々が少年時代に倫理道徳の時間や親教師から教わった理想的建前世界およびその実際の運用面の壊れっぷりを動作確認して大人の階段のぼってくようなアレ。

 これはルールが構成するゲームシステムとそのシステムの隙を突いての裏技・ハメ技による力の拡大(例:ハメ万歳)とは違う話で、世界と、それが実は壊れている、というシチュエーションの問題である。だから世界を模そうとしていないシューティングゲームとかで裏技を見つけるのとは違う。ある一つの世界をシミュレートしようという人間の(無謀な)努力の美しさ(?)と、それが(当然)崩壊するさまのヒステリックな楽しさ、ということである。
 物語性を放棄した手堅い構成で崩壊しづらいシムシティなどでは、むしろそのおとなしさが物足りなく感じられるくらいである。

 ボードSLGなどでも、独ソ戦のダイナミックな攻防劇を描く筈のゲームが、「フィンランドに篭城するスターリン」「それに対抗してセバストポリに篭城するヒトラー」などの狂った展開を発生させることがある。「ロシアヨーロッパ師団に対して後備師団+攻城砲支援による1:1攻撃を仕掛けEXを狙い、損害回復の価格比3:1によってコスト勝ちを狙う日本軍」「計算し尽くされた潰走によって独軍突進を遅滞するソ連軍」「燃料集積所を移転することで当該方面への独軍攻勢を抑止するソ連軍」……
 そのような戦略について語り笑うウォーゲーマーの瞳には、狂った世界を眺める楽しみのヒステリックな熱が宿っているのだ。

参考:
地獄のウィルヘルムハーフェン上陸作戦〜SPI第二次欧州大戦リプレイ〜
ある悲惨な戦い
エポック『日露戦争』とボードSLGの狂気の消費

補足:
 これは「不可能事に挑み、やはり敗れていく勇者達の物語」の一種である。世界模擬系のゲームにおいては、製作者は世界を創造するいわば神なのだが、失敗を約束されている神でもあるので、最初からその失墜が運命になっているわけで、われわれユーザーはその悲劇を鑑賞することができる。いや鑑賞というよりむしろ、自らトリックスターとして神の敗北を実際に進め展開し実現する役回りだ。
 あるいは、父親(や祖父曽祖父たち)に対する反抗という解釈もできて、つまり、自分が産み落とされた世界、自分の親や祖先が作ってきた世界の不完全性を指摘したくなるアナーキーな気持ち。そういうアレが、まあそんな感じ。
 ある距離から見てきれいな模型があったら、その距離からのきれいさを褒めつつ、近づいていって、その時(でも壊れてるんだろ?へっへっへ、壊れてるなら派手で面白い壊れ方しててくれよ)と思いながら。で、まだきれいだったら「おお、ここまで近づいてもまだ綺麗だとはすごい!」と言いつつ、さらに近づいていって、(とはいってもやっぱり壊れてるんだろ?へへへ、おらーここはどうよ?)→(ふ、やはり"記憶"が弱点だったか。まあ当たり前だがな…ゆかいな展開だぜ。電撃PSに投稿しよう)


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20030612 学習性とAI無用論
20030613 要素付加リスク
20030728 真空分極
20031021 壊れている世界の喜び
20040131 要素付加リスク 例を追加