娘っ子関連の話

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妹パワーでモテモテに

(前回までのあらすじ)
 EBMの右山さんによる「粋」と「萌え」
 そして内語とあにぃの優位および血縁・妹属性の不動性

 コンピューターゲームの操作対象は、映画や小説の主人公どもとは一味違う。彼は鑑賞者によって操作される人格である。これは鑑賞者の同一化という点で強烈な長所であるが、同時に、物語の担い手として激しい欠点を具えることになる。鑑賞者は操作対象の成功・失敗にわがことのように一喜一憂する(わがことだから)が、操作対象の人格成長には関心を抱けない。操作対象が人間的に成長しても、その描写は鑑賞者をむしろしらけさせる。われわれはそんな成長などしないからだ──しかし人格成長こそ近代的物語が骨子とするものなのである。
 本来、物語の中で人格成長する人物に対する鑑賞者の態度は、保護者的であって同一化的ではない。映画の15分目、主人公が身勝手な娘っ子に惚れてふりまわされ、捨てて行かれて「戻ってきてくれダァリン」と泣き喚いているとき、われわれは彼に同一化して「こんなに好きなのになぜ」と身勝手娘を惜しんだりはしない。われわれは20分目の本命ヒロインの登場に備えつつ、「泣くなよ主人公。君にとってはこれでよかったんだ」と彼をなぐさめる。彼の感情には同意せず、彼の総合的利益を気遣う、つまり同一化的でなく保護者的である。この保護者的視点が人格成長物語の鑑賞態度なのである。
 従来の物語形式における主人公に対する保護者的視点が、コンピューターゲームにおいては同一化効果によって阻害されるとしたら、ではコンピューターゲームの物語はいかにかたられているだろうか? その答は、主人公の空虚化と被保護人物とにある。
 コンピューターゲームにおいては、操作対象との同一化を遮断せぬよう、彼の人格描写は可能な限り空虚である。そして彼ではない、操作対象ではない人物が登場し、その人物──彼女が人格成長をおこす。しかしてわれわれの操作対象が彼女の保護者である。われわれはkanonにこの構造を見いだし、Airをその極例とするであろう。Airの操作対象は空虚化の果てに烏になってしまうのである。これがほんとの「手も足も出ない」だにゃー。テヘヘ「なくなってしまうー!」→ONE
 さてここで、年若い娘っ子が初期状態でわれわれの保護対象である関係とはなにか? ファーザーの指摘を待つまでもなく、そう、兄妹である。センチメンタル・グラフティにおいて全国を野宿しながら鳥の巣を掛け直して回る、その過重保護ドンファンな操作対象は決して悪い構造ではなかった。娘っ子たちが12人の妹でありさえすれば、鑑賞者は納得したに疑いない、それが『妹の力』なのである。こうして姉妹の非対称性の本質が明らかになり、前者は後者に敗北するのであった。

 被保護対象の社会の弱者っぷりについて;みさき先輩という発見(前編)
 ヘタレ軸からの議論;ギャルゲー主人公の感情移入困難性

 ながいけん『神聖モテモテ王国』をネタにしたヨタ。
「い・もーと、ぱわーぱわーぱわーぱわーぱわー、いもうとぱーわあー。おっとこれ以上はいけねえ。」
「さて、妹なのじゃよー。デフォルトで一つ屋根の下の同居モードとくる。いろんなイベントが日常描写とともに自然に発生するのですよ?」
「違法だが……だいたい僕に妹なんていない。お前にはいるのか? ……いやまて、想像してしまった。」
(予想図。)
(こんなもんお見せしたくもないけど、仕事だから……ごめんなさい。)
「いないならばこれからひとっぱしりご両親を離婚→再婚させてきなさい。人間関係は自ら進んで構築してこそ強固なものになるんじゃよ。」
「構築以前に粉みじんにしてばかりだと思うが。」
「非血縁ルートが不満なら、別の頼み方もあろうが、14年(?)差はきびしいかもしれんにゃー。」
「そもそも僕の父だとか言ってるのはお前だろ。完全に無理だ。」
「あっ。」
終了
「馬鹿めが、わしの魅力をもってすれば、子連れナオンの一人や二人……しまった最初の命題に戻った。無限ループ? 電撃G'sの陰謀じゃよー! 妹寡占横暴!」
(妹カルテルの構成)
(メディアワークス 85%)
(D.O. 10%)
(F&C 5%)

阿鼻教官のサングラス

 ところでわれわれは、男性が少女を保護対象とし、その成長を見守る物語をすでに得ている;G・I・ジェーン。教官である。コーチである。あのサングラスはギャルゲー主人公の前髪なのだ──かれらの目は隠蔽されねばならぬ。が、ここで両者の差違に注目すれば、それは、教官がおやぢであるということだろう。ギャルゲーの主人公についての情報は一般に生まれた時は闇の中、そしていずれまた闇に帰るで描いた動態で推移するが、それがおやぢについては

であり、鑑賞者が何も知らない領域についておやぢは何でも知っていて、そしてそこに何があったのか最後まで語られない。そう、「女子供にとって、おやぢはえいえんのなぞ」なのである(われわれ男は、いつの日か、立派なおやぢとなり、おやぢを知ることができると期待している、むしろ、信じている、と言いたい)。

思考破壊爆弾〜謎から泣きへ〜

 『ONE〜輝く季節へ〜』では話の後半、幼馴染のよくわからないスタンド能力が発動することにより主人公は「えいえんの世界」とやらに投入されてしまい二度と帰ってこない。そしてユーザーは、主人公を失ったみさき先輩がおたおたするのを鑑賞してせつなさに悶え転がったのち爆裂する(みさき先輩という発見)。
 この「えいえん」とは何なのかが結局最後まで説明不足なので、気にするユーザーはいつまでも気にするようだが、しかしこれは泣きエロゲーの物語構造の典型である。
 「えいえん」なり「奇跡」なり「前世からの血」なりの謎ガジェット、マクガフィンは、それ自身ユーザーの興味関心を惹き、物語を読み進めさせる。何だそりゃわけわからん、と思わせた時点で半分勝ったようなものだ。ユーザーは左クリックするだろう。しかしガジェットを放るのに対して回収することははるかに困難であり、きれいなオチはそうそうつくものではない。
 そこで、泣きエロゲーは一種の物語構造上のアクロバットをおこなう。すなわち、謎ガジェットという綱でもってユーザーを中盤から終盤へ引っ張っていったうえで、その綱は放り捨ててしまい、大質量の悲劇をヒロインにぶちあてる。すると全泣きのユーザーは謎どころではなくなり、きれいなオチを要求しなくなる。涙は神聖なものであって、いったんそれが流れればその体験は批評しようがなくなるのだ*ht
 このすり替えを主軸として泣きエロゲーは3つの部分に分かれる。すなわち、導入はコメディタッチで油断させつつ現実レベルを下げて超能力やら魔物やらが「有り」な世界観を浸透させ、娘っ子を順次紹介する。ここで電波っぷり*ewをできるだけゆかいに披露する事で、物語世界の現実レベルを下げ、「プレイヤーの脳をゆでる」。次にユーザーの選択した娘っ子の過去現在について「実は辛かったのだ&&辛いのだ」話を語り、さらに辛い事件を一つ起こして娘っ子を追い込む(このとき可能なら主人公をカラスにするなりえいえんの世界にふっとばすなりして消去しておく)。そしてじっくりいたぶり、おもむろに止めをさす。→大泣き。あとまあ三日後に甦らせてユーザーを安心させてもよいし殺しっぱなしでトラウマにしてやってもよい。
 要点はいかに転換部でユーザーの思考を停止させるかにある。ハードディスクを思いきり蹴るつもりで臨みたい。ぐにゃ……(福本伸行)

[ht]涙は神聖なものであって、いったん流されるととりかえしがつかなくなる
 血の神聖性──長く続いて泥沼化した民族紛争において、当事者の誰もがその起源や正当性を問わなくなるのに似ている。

[ew]電波
 電波の機能には以下のものが考えられる。
・栄養状態の良さというセックスアピール。精神的発育に対する肉体的発育の進行度は、栄養状態の良さの指標として用いることが可能である。男性の性的嗜好にこの指標が含まれているとすれば、精神的な幼さ、すなわち電波は、セックスアピールとして機能すると考えられる。この仮説は、ちょっとネジのぬけてるブロンド娘はエロい、という米国人の主張によっても支持される。
・物語の現実レベルを下降させるアリバイ。物語中後盤、オカルティックで強引な展開を発動し大質量の悲劇をユーザーにぶちあてるためには、序盤から現実レベルを低め、ナンセンスな世界観を準備しておかなくてはならない。ここで、娘っ子が電波女としてプレイヤーと世界観との橋渡し・緩衝役をつとめるわけである。ナンセンスな世界観への不満は抱きやすいが、電波な人物に対してはそれが比較的少ない。なぜなら、人物の態度はネタ、すなわちペルソナである可能性があるからである。これは実際に応用されており重要である。つまり、電波な娘っ子ヒロインには次に述べる逆転ホームラン技(野球で言うと2点ぐらい)があるのである。
・苦労話の発見による大逆転。一般的に過去の発見*dpという手法は強力である(例:喪失との再会としてのトラウマ再現)。ギャルゲーでは、ヒロインキャラクターごとに発見すべき苦労話が用意されており、ユーザーを強く牽引する*kr。苦労話は、謎と悲劇の解決と力で述べた3つの牽引に付け加えるべき要素である。ここで苦労話は、発見されることで娘っ子の電波を説明付ける。苦労話は娘っ子の電波のアリバイでもあるのだ。そうかそういうつらい過去があったのなら、電波なペルソナをかぶっていたのも無理はない。泣け娘っ子よ、もう泣いていい。もう演じなくていいんだ。俺の胸でおもうさま泣け、俺も泣く。電波娘の電波はネタ・演技であったことが判明し、物語序盤での電波行動のすべてが再解釈され、ハンカチが必要になる。これが逆転ホームランである(総論は人格の成長と発見に詳しい)。

[dp]過去の発見
 そもそも物語自体が過去を語るという行為なのであり、そのなかで過去が語られ、またそのなかで過去が語られ……という多重構造にはどんな意味があるのだろうか。

[kr]苦労話の発見
 主人公が女の子を口説くのではなく、保護者または観察者として女の子の過去〜現在の苦労話を発見していくのが、ギャルゲーにおいて適当な展開である。この事実を最初に見出したのは同級生であった。
 同級生では、その実行ファイル名"Nanpa.exe"が表しているように、勝利のダイナミクス*swすなわちナンパと、女の子の苦労話観察とがまだ分離されておらず、混在している。その後、純愛系ゲームは洗練されていき、苦労話の観察者としての主人公は、カラスという眼だけの存在に変身する(AIR)までになった。

[sw]勝利のダイナミクス
 社会的関係を相対的に上昇させるプロセス。対等かそれ以上の他者、ここでは年増の女の子、を従属させていく過程。ざるの会のゲームデザイン入門「勝つ」 〜社会性の快感参照。勝利のダイナミクスは、その後、鬼畜系・調教系エロゲーとして洗練されていった。

生物学的・栄養学的にみたロリペド

 実例はEBM-ABT日々の事2003年5月31日

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20020711 作成。「妹パワーでモテモテに」
20020713 「阿鼻教官のサングラス」
20021128 「思考破壊爆弾〜謎から泣きへ〜」
20030601 「思考破壊爆弾」に脚注「電波」その他を追記。
20030601 「生物学的・栄養学的にみたロリペド」