GPM関連の話
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GPMエリートの発生からの続き。
AIと人格擬態とちょうどぴったりの世界
インタら.netBBS内スレッドガンパレード・マーチを絶賛したのは誰?より──
GPMが登場人物の行動を決めるためにAIを使っているというのは、あれは、看板だと思います。過剰広告。1日毎の基本行動スケジュールが用意されてて、それがいくつかのパラメータによってアレンジされる、という思考ルーチン・アルゴリズムになっているのだと推測する次第。もしそうだとしたらそれは、人工知能とは呼べない。
人工知能って、思考ルーチンやアルゴリズムができることができて、思考ルーチンやアルゴリズムではできないこともできるもんだと思う。つまりさ、DQ4のクリフトも、wizのグレーターデーモンも、われわれのように問題を解決する能力がないでしょう? あるいは、問題を解決する能力を(十数年の学習のすえに)身につける能力がないでしょう? そういうわけでクリフトはAIじゃないと思います。(なお、この意味で、蜂には知能はないと僕は思う。あるのは複雑な行動パターンだ。その学習能力・可塑性は低いので知能とはいえない)
人間の問題解決能力は、クリフトの問題解決能力よりはるかに広い範囲の対象を処理することができる。そういうわけでクリフトが知能を持っているとは僕には思えない。
レストラン選びや、格闘ゲームなど、状況・対象・問題を特定の範囲に狭く限定すれば、人間に単純な行動パターンをとらせることができる。その時、その人間の行動を、現在の計算機パワーでもってエミュレートすることができる。したがって、現在の計算機でエミュレートできる範囲ちょうどの架空世界システムを設計すれば、その中に人間を再現することができる==>GPM ……ってなところかなあ。
つまり現在のコンピュータゲームにおける「AI」という言葉について、まとめると、
- パッケージとファミ通をかざる看板、売り文句、過剰広告であって、実際には人工知能と呼べるものではない
- なぜなら、知能とは人間並みに広い範囲の問題を解決できる能力(を習得する能力)をいうからだ
- コンピュータゲームでは、ごく単純なルーチンにグラフィックと台詞でもって人の皮を被せることで、人間を擬態し、プレイヤがそのルーチンに人格・意識を感じさせる手法がよく使われる。これは人格擬態とでも呼べばよいだろうか[pm]。人格擬態はしばしば販売戦略上の看板・売り文句・過剰広告として「AI」と呼ばれることがある。たとえばDQ4などだ
- またもうひとつアプローチがある。コンピュータが発揮できるだけの問題解決能力、それは人間のそれにくらべてごくわずかなものだが、その能力のおよぶ範囲ちょうどぴったりの世界システムをコンピュータゲーム内に構築する。そうすれば、そのシステムの中で生きる人間の行動をコンピュータでもってぴったりエミュレートできる。これがGPMのとったアプローチである
GPMが巧妙なのは、マニュアルに「気になるNPCをつけ回して、どんな日常生活を送っているのか調べてみましょう」などと書いてあるところだ。これは、すばらしい策略だ。
ストーキング行為の対象は人間である。したがって、NPCをストーキングした時点で、プレイヤはNPCに人格を認めたことになるのだ。相手を人間扱いしたのだ。その人間関係は対等ではないが、たしかに人間関係なのだ。
なんと単純かつ強力な教唆であろうか。
だから、登場人物に人格を感じさせるために、プレイヤにいったい何をさせるのがよかろうか? さらってきて押入に閉じこめるとか、無理心中するとか(死んじゃうのかよ!)か?
おそろしい世界
殺され萌えの応用。
ゲーム版ガンパレは、絶望的な人類大ピンチっぷりと、そのピンチに対抗する人類の戒厳っぷり、「非常時だから学徒動員だろうがクローンだろうが薬物投与だろうが人体実験だろうが殺人だろうが躊躇しないね!!」な人間性の脅かされている背景設定がおそろしい(例:公式サイト内ガンパレード・マーチ外伝)。見た目は楽しげな学園SF戦闘ものの外装をしているのだけれど、だんだんひどい世界だということがわかってくる(内藤武弐によるパロディ特 報があまり洒落になっていない)。
そんなおそろしい世界の中で、芝村は超強気発言をし、ののみは奇跡を信仰する。そして速水は、オプティミスティックで、学習し、行動し、勝つ。なぜなら速水はプレイヤーであり、プレイヤーはオプティミスティックで、学習し、行動し、勝つからだ(救世、死、プレイヤー)。
このひどさと勝利のパワーバランスがとれるのは、ゲームならではの構図といえよう。
ゲーム以外のメディアではこの構造を再現するのは難しいけれど、逆にいうとゲームがあるんだから、それ以外のメディアでひどい話になっても、ゲームでハッピーエンディングな展開をとりもどしてもらえればいいわけだ。アニメでは茜が登場するかしないかの時点で死んでおり、壬生屋嬢も戦死するらしいが、われわれはそうでない展開、自分のプレイした展開を知っている。だからそんなにへこまない。ゲーム原作のコンテンツにはそういう強味があると考えられる。
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20020607 作成。
20030728 おそろしい世界