サクラ大戦の安全弁

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 アドベンチャーゲームは実は、ギャルゲーに向いていないのである。という挑戦的な出だしではじめるが、大した話ではなく、つまり選択肢選択式ADVは娘っ子選択式ギャルゲー(ギャルゲーと意志決定)に向かない。なぜというに、その選択があまりに鋭敏すぎるからだ。kanonでいえば、娘っ子らの顔見せが済むまでの序盤で与えられる選択肢群は意味なし選択肢(なんちゃって選択肢)群であり、その後中盤で与えられる選択肢が本命・娘っ子選択選択肢群である。この二者の見分けがつきにくく、また、娘っ子選択選択肢群においても、選択と娘っ子との一対一対応がつかみにくい、むしろ一対一対応がなく、理解困難なフラグ管理がされている場合が多い。こうして、基本的にkanonライクなギャルゲーADVにおいて、選択肢を楽しむことはできないということになる。この欠点を補うためのものが、攻略本・攻略サイト・セーブアンドロード機能の充実・メッセージスキップ機能、ヒント機能などである。がしかしこれらは補うにとどまり、選択肢が楽しまれることはけっきょくない。
 さてサクラ大戦の仕組みだが、基本は選択肢選択システムである。しかし、戦闘パズルゲーム部分が付け加わっているところがポイントなのだ。戦闘システムがなくて選択肢選択だけだったとすると、プレイヤーは以下のような不安に悩まされる;「俺のした今の選択は合ってたか?」「ここまでの選択肢群で、好感度は十分あがってるのか?」「もしやうっかり、カンナを絶対倒せないルートに入り込んだりしてないだろうな?」そしてこまめなセーブ&ロード、もしくは攻略本の選択肢解説ページとくびっぴきのチキンハートプレイに陥る。こうなるとそのプレイヤーを牽引しているのは物語の読了*stだけであって、物語以外のゲームシステムは無駄になってしまう。
 ところがサクラ大戦では、戦闘SLG部分で「かばう」行動を連打することで、好感度を十分取り戻せるのだ。だからADV部分で多少失敗していようと、望みの娘っ子を倒すことはぜんぜん可能なのだ。したがってプレイヤーは不安を抱かない。戦闘パズルゲーム部分が、鋭敏すぎる選択肢選択システムの排気弁になっているのである。つまりサクラ大戦の戦闘難易度が甘々なのは、必然なのだ*srw。こうして鋭敏さを削り、その重要性を鈍磨することで、サクラ大戦の選択肢はむしろ楽しめるものになっている(ある要素が楽しまれるためには、それにあまり意味がありすぎてはいけない、という一例か?)。応答時間+「ピン・ピロリロリン」という正解音のアレ(LIPS)だ。選択肢選択式ADVプラス戦闘SLG。みごとな併用である。
 で、こういう仕組み、しかしこれは余人のよく真似できるものではない。というのは、選択肢選択式ADVを作るのだけで大変なのに、そこに戦闘パズルゲームまで作るわけで、つまり2本のゲームをつくるだけの労力が投入されているのである。さらにあのアニメーション。サクラ大戦のしているのはすごい本気勝負であって、横綱相撲もいいところなのである。おそるべしセガ…………? あまり怖くないような気も。


[st]物語の読了
 サクラ大戦の物語について余談。サクラ大戦の作品性を読んで思いついた。というか、言葉をかえて言い換えているだけかもしれない。
 ゲームの物語において唐突で派手で解決がすぐ来る単発のイベントを用いることには、利点がある。なぜなら、イベント間の関連性が強く、その発生が連鎖しているほどに(完璧に連鎖したものが一本道ゲーム)、選択肢選択の快楽が減るからだ。違う言い方で書くと、終盤からエンディング・オチにまで連鎖しているイベントは、イベントモンタージュ式のギャルゲー(その最右翼がときメモ)で使いづらい。

[srw]戦闘難易度が甘々
 スーパーロボット大戦を参照。
 ただしここで注意したいのは、戦闘パートが排気弁として機能するためには、戦闘難易度の甘さと「かばう」コマンドの効果が、中終盤までにプレイヤーに伝えられる必要があるということだ。


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20020523 作成。