ガングリフォン、パンツァーフロント、鈍色の攻防、という並べかたで考える場合。
 ガングリフォンとパンフロは、砲撃の狙いを自分でつける。パンフロは射撃時1人称視点、移動時2人称視点である。3者ともに3人称視点があり、パンフロと鈍色では、そこで部下に移動を指示する。鈍色だけが、部下から声で報告が入る。
 ガングリフォンはダメージ制である。しかし、パンフロと鈍色ではダメージの蓄積はなく、弱い戦車の砲弾は何発くらっても痒くもない。
 ガングリフォンは、戦場を駆け回るゲームである。ヘリコプターによる補給が重要で、時間を考えてのプレイがなかなかユニークである。レースゲームのライン取りに似ている。パンフロも忙しいが、補給の要素は少ない。鈍色はのんびりしている。

≠架空戦記

 舟橋さんが何気なく鈍色の攻防を架空戦記物と言ったが、僕は鈍色の攻防を、架空戦記物ではない、と言いたい。まあ鈍色を広義の架空戦記物に含め、鈍色とそれ以外の架空戦記物とに違う点がある、と言っても同じだが、それは気に食わない。
 なぜか。架空戦記物(鈍色以外の紺碧の艦隊など)は、現実の歴史をある時点から分岐させている。それらの歴史は、そうなっていたかもしれない、ありえたかもしれない歴史という扱いになっている。
 鈍色は、分岐した世界ではない。違うビッグバンから始まって収斂して似た、並列な世界だ。そこが違う。
 これってけっこう大きな違いだと思うんだな。
 鈍色の攻防の世界の歴史とわれわれの世界の歴史との間に、一対一対応がつくというか……
 分岐した歴史を描いたものって、「こうだったらよかったのに」と思って描いている感じがする。こう違っていたら、こう違っていただろうに、と。空母を大事にしていたら、負けていなかったろうに、日本はもっと幸福だったろうに。
 鈍色の攻防は、「これも言ってみれば同じ」と主張しているように思う。イギリスがドイツと組んで第2次大戦をはじめる世界。それと現実の歴史も、言ってみれば同じだ。誰が起こしても戦争は戦争だ。こんなふうに違っているが、しかし同じだよな、街は戦火に燃え、誰かが泣くのさ。
 細部が違うほど大筋の共通項が目立つ。



トップページへ

Copyright(c) 1999 ITO Yu All rights reserved.
FZR02073---a---t---nifty.ne.jp