悔い改めよ、ハーレクイン! と警官は言った

 私も昔はCRPGの悪口を言っていたものです。DQ3、FF3、WIZ1、いずれも途中でやめてしまい、クリアには至りませんでした。CRPGは私に、ゲームを途中で投げ出させるのです。私はCRPGに対して苛立ち、憎悪(大げさ)を感じていました。その苛立ち、憎悪が、CRPGに潜んでいる何かいやなものはいったい何なのか、という議論を私に書かせました。
 やがて、CRPGに潜む私が嫌いな何かとはその戦闘−成長システムであり、それはCRPGをCRPGたらしめている本質的な要素であって、それを除いたらCRPGはCRPGではなくなってしまう、ということがわかってきました。そしてそれにつれて、CRPGに対する苛立ちも薄れてきました。今もCRPGはやる気がしませんが、CRPGにやみくもに、感情にまかせた悪口を言う気もありません。私は冷静に、好奇心と探求心にしたがってCRPGについて考え、議論を発展させ、なぜ自分がCRPGを嫌いなのかを考えていけばいいのです。その行動を支えているのはもう憎悪では(たいして)なくて、探求心です。憎悪が徐々に探求心に置き換えられていく、という感じです。
 殻をその内側で支え押し広げていた高温の液体がだんだん冷めながら引いていくと同時に、その液体からうまれた支柱が殻を支えるようになる……っていうイメージなんですが、生物現象かなにかにたとえられないものかなあ。

目次へ

Copyright(c) 1999 ITO Yu All rights reserved.
FZR02073---a---t---nifty.ne.jp