みちのく相撲は八百長か(*1)?

 アメリカのプロレスでは、ある団体のレスラーの奥さんに別の団体のマネージャーが手を出したの出さないので勝負、その話にもう3・4人レスラーや女の子がからんで勝負、ついでにその奥さんと女の子がリング脇でビンタ勝負などというようなドラマ性あふれる興行が行われているそうです。死んだ筈の弟が全身火傷の覆面レスラー宿命の対決……熱い!
 アメリカに限らないプロレスのこのドラマ性その他はどこから生じるのでしょう?
 それは以下のような理由によるのではないでしょうか。
 例えば市場が独占されている相撲は集客成績が安定しており、興行がなくなる可能性は低い。選手(力士)は勝つ事で相撲界に居続けることができ、また格付けを上げて収入を高める。
 対して群雄割拠のプロレスでは各団体の集客成績が安定せず、興行自体がなくなる可能性が高い。また、選手の格付け、収入は勝利数に基づいて決まるわけではない。
 このような違いから、プロレスの選手は自分の勝ち負けをあまり気にせずにいることができ、むしろ自分の属する団体・興行の存続が重要になる。
 そのため、団体内で選手達が精密なコンビネーションをとることが可能になり、それがドラマ性その他につながる。
 どうでしょう? 格闘技方面で詳しいのはバーチャファイター、という人間が適当に考えた理屈ですが。
 なお、プロレスについてはレスラーも観察者もロールプレイング(*2)が重要である、という点はわかっているつもりです。「試合が面白くなるように意識したりはしていないレスラー」を試合が面白くなるようにロールプレイングする2人のレスラーと、「レスラーが試合が面白くなるように意識している、などとは信じない観客」をロールプレイングする観客、からなる系がプロレスである。これも雑な理屈ですが……
 ……という理屈に「プロレスは馴れ合いじゃない、真剣勝負だ」と反論するプロレスファン、をロールプレイングしなければならないのが真のプロレスファン、ですか? ロールプレイングの道は深い。ではまた、ごきげんよう。

(*1)みちのく相撲は八百長か: 本稿の理論に従えば、仮に相撲がいくつもの小団体に分裂して「全日本相撲」「みちのく相撲」「土俵ズ」などになった場合、各団体内で選手間の協力関係が生じ、共闘と確執、反逆軍旗揚げ、師弟・兄弟宿命の対決といったドラマ性が発展するであろう、ということになります。

(*2)ロールプレイング: テーブルトークロールプレイングゲームでは、プレイヤーはキャラクターの設定を裏切らず、かつシナリオをちゃんと展開させなくてはなりません。情に流されない男を演じつつ、村娘を助けに行かなければならないのです。情にほだされて依頼を受けてしまったら設定が生きませんし、村娘を見捨ててパーティと別れ、他のメンバーが娘を救うのを眺めているのでも、一人だけシナリオの筋から外れてしまうことになります。
 この場合、一度は村長の依頼を断りつつ、悪役の漏らした言葉にプライドを刺激されてこれを倒し、結果として村娘を助けることになる、などという展開が望ましいわけです。ゲームマスターもプレイヤーもそうした展開を模索しなくてはなりません。
 各個人のキャラクターの設定(情に流されない男を演じること)とグループでゲームを遊ぶという点(プレイヤーが一致・協力して村娘を救うというシナリオを進めること)はときに矛盾するのですが、それをどう綺麗に共存させるかがテーブルトークロールプレイングゲームの一つの醍醐味なのです。
 プロレスラーも「試合を面白くしようなどと意識するべきではない」「試合を面白くしたい」という矛盾する2つの立場にいますし、その観客も「観客はプロレスラーは馴れ合っていないと信じているべきだ」「客観的にはプロレスラーは馴れ合っていると考えられる」という矛盾を抱えています。


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