コンピューターゲームにおける停滞と比例



 コンピューターゲームを停滞と比例という言葉を使って分類します。


 停滞とは、ゲームで行き詰まるということです。倒せない敵がいて行き詰まる、パズルの解き方がわからなくて行き詰まる、次に何をしたらいいのかわからなくなって行き詰まるなどです。こうした行き詰まりを停滞と呼ぶことにします。


 停滞するゲームとしては、アドベンチャーゲームのうち「MYST(CYAN)」のようにいくつもの仕掛けを見つけ動かしていく、探索式のものが挙げられます。また「倉庫番」などのパズルゲームも停滞するゲームです。
 これらはいずれも正解を見つけるまでプレイヤーの状況が変化しません。理論上、一年間悩み続けてほんの少しも進展しないということがありえるゲームです。
 これらで異なっているのは解くべき課題の形式です。探索式アドベンチャーゲームではそれぞれの仕掛けがそれぞれの形式を持っています。「MYST」ではある時は鍵盤を弾き、ある時はダイアルを回して謎を解きます。それに対してパズルゲームではすべての課題が同じ形式にしたがって、たとえば「倉庫番」のどのマップでも荷物は同じルールで動いて、います。


 比例とは、プレイヤーが投入した時間とゲームの展開が比例するということです。行き詰まらないゲームといってもいいでしょう。停滞の反対です。
 たとえば、映画はまったく停滞しません。映画は、それぞれの観客が何を感じ取りどう解釈しようと、1時間20分なら1時間20分たてば必ず終わりがくるからです。映画は比例するメディアです。


 比例するゲームといえば、アドベンチャーゲームのうち「弟切草(チュンソフト)」のようにときどき選択肢があるだけでどんどん話が進んでいくタイプのものです。選択式アドベンチャーゲームとでもいいましょうか。
 選択式アドベンチャーゲームは、ゲームのなかで最も比例に近い場所にある、そして停滞から遠いところにあるジャンルといえます。選択肢がなくなるとゲームではなくて映画、あるいは小説になります。
 RPGも比例するゲームです。プレイヤーキャラクターの成長、すなわち主人公のレベルアップが決定的な要素です。モンスターを倒し経験値を溜めレベルを上げていくというシステムは、プレイヤーを一定の速度でエンディングへと運んでいく役割をはたしています。


 停滞、比例というのはプレイヤーの遊び方の問題でもあります。比例型に分類したゲームを停滞型のゲームのように遊ぶことも可能です。
 たとえば「弟切草」をオープニングからある一つのエンディングまで進めて物語を楽しむ、これは比例型の遊び方ですが、その全ての分岐構造を調べ理解していく、となると停滞型の遊び方に近くなります。
 この場合、一段階メタにすることで遊びの性質が変わるわけです。
 とはいえ「弟切草」にはメッセージの早送り機能がないため分岐構造について考え悩んでいる時間よりメッセージの表示を送っている時間の方が圧倒的に長くなってしまうということ、および分岐の法則がブラックボックス的で個人での分析が困難なこと、は否定できません。
 制作者にとっては、「弟切草」は停滞型のゲームではないのです。


 ゲームが狭いマニア層のものであったかつてに比して、それがメジャーな娯楽として成立した現在、誰にでも楽しめる作品、比例型の作品の需要が増えています。
 ゲームは不特定多数のユーザーを購買対象にしなければならなくなったのです。
 逆に、ゲームの市場が短い期間に非常に広がった理由を、投入した時間に比例した喜びを確実に得られる作品を作る技術、手法が開発されてきたことによると考えることもできます。


 以上、停滞と比例という言葉を用いてコンピューターゲームを考えてみました。一般にパズルゲーム、アドベンチャーゲーム、RPGと呼ばれているジャンルを評価するうえでの軸を一つ与えることができたと思います。
 ただし停滞と比例はそれらの、プレイヤーの入力を待って無期限に待機しているゲームにはあてはまりますが、リアルタイム性を持つゲーム例えばアクションゲームやシューティングゲームに対しては、有効な概念ではありません。それらを語るには別稿を待つことにします。

1998.11.13

1999.5.19 改稿


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