山岡士郎の世界

 「美味しんぼ」を単語登録するのは悔しいような口惜しいような気がしますが、皆さんこんばんは。私の研究室へようこそ。でも研究室って普通誰かに講釈する場所じゃないですよね。だから、私の講義室へようこそ。しかし講義室はどちらかというと大学のものですから、私の家へようこそ。家ってのもなんですかね。私の……Pia☆キャロットへようこそ! 駄目ですか。本日のゲストは、山岡・士郎さんです!

(音楽。拍手。カメラ引く。袖から出てくる山岡)

司会 こんばんはー。
山岡 こんばんは。

(カメラ、観客席を端に入れつつ舞台を回り込む。席につく山岡と司会者)

司会 山岡さんはビッグコミックスピリッツで皆さんよくご存知の「美味しんぼ」の主役をつとめていらっしゃいます。「美味しんぼ」といえばスピリッツの看板、屋台骨、大黒柱、精神的支柱、国民の象徴、天皇機関説。先日ついに連載400回を迎えました。おめでとうございます。
山岡 ありがとうございます。
司会 スピリッツといえば国民的漫画誌、その人気連載陣の中でも連載400回となりますとこれはもう大変な大連載になるわけですが……大連載にまつわる苦労、というようなものもいろいろとあるんでしょうか。
山岡 はい。やはり毎回苦労するのが下書きですね。あと、ペン入れ。
司会 はあ。
山岡 ええ。
司会 ……その、紹介する料理とか、ドラマの展開だとか、
山岡 そんなものは大したものじゃありません。絶滅が急速に進行しているとはいえ、世界にはまだまだ多くの民族・文化が存在します。その中からメジャーといえる料理をピックアップしていくだけでも今後100年、5219週はネタに困らないでしょう。ドラマ展開は2種類しかありません。
司会 に、2種類ですか。とおっしゃると、
山岡 山岡・栗田周辺の人物が関わる日常生活・会社生活におけるトラブルに山岡が介入し、トラブル当事者に適当な料理を食べさせることでこれを解決する、これが一つ。次に、究極のメニュー・至高のメニューを代表して山岡士郎と海原雄山が対決する。以上2つです。
司会 な……なるほど。非常に……簡潔な構成ですね。
山岡 前者の展開は料理がなんらかの形で役に立って周辺の人物を助ける、開いた構造をしています。後者では料理は自己目的化しており、誰かの役に立つというよりは勝負のための勝負、勝ち負けを決めるための勝負となります。この展開は閉じた構造といえます。
司会 ええと……、
山岡 少年誌で一般的なのは閉じた構造です。格闘物やスポーツ物に代表されるいわゆる勝負物で顕著で、ボクシングやサッカーといった特定の世界で勝負勝負また勝負と戦いが繰り広げられ、勝負なしには日が暮れません。いわば「勝負モード」とでもいった展開です。
司会 あー……
山岡 一方、開いた構造においては主人公のもつ技術はその技術の世界だけでなく、その世界の外で役に立ちます。「ブラックジャック」では医術、「マスターキートン」ではSASと博物学、「ギャラリーフェイク」では鑑定。主人公はこうした技術をいかして出会った人物を助け、その抱えるトラブルを解決します。これは「人助けモード」あるいは「いい話モード」です。
司会 で……
山岡 構造・モードの使い分けは作品によって異なります。「美味しんぼ」はこの2つの構造・モードのうち「いい話モード」を主とし、海原雄山との「勝負モード」は時たまその間に挟まるような形で配置しています。先ほど挙げた3作品も同様に「いい話モード」を基本としています。
司会 その……
山岡 少年誌での連載は最初「いい話モード」から始まり、20〜30話あたりから「勝負モード」に移行して以後勝負一辺倒になることが多いようです。少年ジャンプなどで顕著な傾向です。
司会 えー……
山岡 少年誌連載でのこのモード転換は、おそらく「いい話モード」で登場人物のキャラクターが確立したら──そして連載に人気が出たら──それからのちそのキャラクター達の人気でもって、いわばキャラクターを使い潰しながら、勝負百万連打を行うということだと思われます。
司会 く……
山岡 もうすこし詳しく言うと、少年誌連載の序盤は「いい話モード」でキャラクターを立たせ、読者に思い入れを持たせることが主眼です。ここでキャラクターについたファンが、後半の「のび」を支えるのです。その後ひとたび戦いが始まって後半戦に突入すると、以後の展開は完全に確定したワンアンドオンリー・パターンつまり「勝負百万連打・強い奴のインフレ」となり、これは読者がいくらなんでももういい加減に、とキャラクターを見放すまで続きます。
司会 山岡さ……
山岡 新たなキャラクターの導入、回想シーンによる旧キャラクターへのカンフル剤投与、敵のボスの下にいる同レベルの部下の人数増加によるインフレ緩和、によっても、根本的なインフレ問題解決をおこなうことはできず、連載はやがて終了します。
司会 山岡さん、とても興味深いお話ですが……
山岡 話がそれたとお思いかもしれませんがここで繋がりますのでご心配なく。「いい話モード」を基本に長寿連載が可能な「美味しんぼ」パターンが、なぜ少年誌ではできないのか。それは少年誌の読者のテーマが成長だからです。この「成長」には傍点をうって読んでください。ヒラのサラリーマンとして日常のトラブルを解決しながら変化のない生活を送る山岡士郎の物語は、少年誌読者には耐えられないのです。彼らのテーマは日常に満足することではなく、自分が変わっていくことだからです。
司会 ……
山岡 少年誌の主人公──および読者の感情移入を受ける準主役級キャラクター達──は変化し続けなければならない。成長しなければならないのです。成長とは戦いであり、つまり勝負です。そしてそれはキャラクター本人の戦いと成長であって、他人の戦い・トラブルを助っ人する「いい話」であってはいけない。「キャラクター本人の」に傍点を。
司会 ……っ、
山岡 したがって少年誌のキャラクターは連載序盤で読者の感情移入を得てからのちは成長し、それに見合った困難すなわち敵に出会い、これをうち破ることでまた成長し、という繰り返しに至るのです。
司会 お……
山岡 もっとも「幽々白書」──gooで検索したら「悠々」より「幽々」のほうがヒットするでしょうね──から「美味しんぼ」に至る中間の系列があることも確かです。少年マガジンの「将太の寿司」などは「勝負モード」の合間に「いい話モード」が挟まるという構造をしていますし、少年サンデーの「らんま1/2」「GS美神・極楽大作戦」などは「勝負モード」と「いい話モード」が融合していて「永遠のドタバタモード」となっているといえます。
司会 …か…
山岡 少年サンデーは、月曜日の朝からはサラリーマンにならなければならない成人前夜の高校生の漫画誌なのかもしれませんね。
司会 よよ…………よ? あ、そ、あの、大変面白いお話でした。えー、まだまだお聞きしたいところですが、残念ながら時間となりました。今日はお越しいただいて本当にありがとうございました。
山岡 こちらこそ。
司会 「話せるあの人」今夜は山岡士郎さんでした。それではこのへんでお別れします。さようならー。
山岡 さようなら。

(一礼する司会、山岡。カメラ横へパンしつつ引く。拍手、音楽、エンディングクレジット)

(エンドマーク)

山岡 やれやれ、少し喋りすぎたな。
栗田 そんなことないわ山岡さん。とてもわかりやすい話だったし、なんだか考えさせられちゃったわ。漫画って単なるひまつぶしの娯楽じゃないのね。立派な文化なんだわ。
山岡 そうさ。だけどそれが分かっていない人はまだまだ多いんだ。ながいけんの爪のアカでも飲ませてやりたいもんだね。
富井 や〜ま〜お〜か〜。
栗田 まあ、富井副部長。
山岡 げっ。
富井 貴様ぁ、あの態度はなんだ! ニッポンテレビはわが社最大の子会社なんだぞ! そこでせっかく「美味しんぼ」の紹介をさせてもらえるというのに、くだらん無駄話ばかりしおって!
栗田 あらら、まず身近に分かってない人がひとりいたわ。
山岡 副部長には手塚治虫の爪のアカでも効かないよ。うわっ。
富井 爪のアカがどうしたってえ〜? お前にはわしの耳アカを飲ませてやる! 食らえ!
山岡 ひえー! 助けてくれ〜!
女性陣 (笑)

(追記) 議論の流れを止めないよう本編では割愛したが、「強い奴のインフレ」という言葉について一言述べたい。本編で述べたように「勝負物」の勝負サイクルの第一動因となっているのは主人公の成長(「主人公の成長」に傍点)であり、敵キャラクターはいわば主人公の成長に引きずられて強くなっていくにすぎない。強くなった主人公に見合う次の障害として強い敵が登場するのである。
 したがって「強い奴のインフレ」は「主人公の強さのインフレ」と言い換えたいが、語呂が悪いので「無限パワーアップ」、これも語呂が悪いし「鉄雄現象」、わかりにくいし「倍々ゲーム」……どうも思いつかない。断念。誰か考えてください。

以上。


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