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OVAの『るろうに剣心・追憶編』を観た。剣心が暗殺者だった時代にスパイとして送り込まれた娘っ子とらぶらぶなわけだが、鬱キャラ2人がヒーローヒロインだと画面が強烈にまったりする。そして非常に人狼と似ているのだが、その差のかなりはおそらく、おっさんキャラによるものである。鬱なだんまりどもの話をシメるには三人目として喋り屋が投入されるほかないが、その人物は人生を諦観できなくてはならず、といって当事者性の薄い無関係な(したがって若者に優しくなれる)老人であってもいけない*1。だからおっさんである。
さて、るろ剣憶編のおっさんの問題点は、その喋りの内容が広大無辺にへこむことである*2。まず彼は自らの策略を語る。スパイとして投入しておきながら、そのまま毒殺とかさせずに人質にとり、しかも人質としては剣心をおびきよせるためにしか利用していないので策略自体かなり破綻してしまっている、これは物語展開的にしようがないかもしれないが、喋りの内容としてこの破綻しちゃってる策略を採用してしまったので視聴者はへこむ。次に非情になりきれぬ剣心の心理を喋るのだが、得々として語っちゃってるため諦観がなくへこむ。最後に部下を殺された恨みを叫んでから剣心になぐりかかるわけだが、無諦観ここに極まったり*3。すこぶるへこむ。だいいちそれあんたの無能のせいだしという突っ込みを入れる気力も視聴者には尽きかけている*4。
第一話あたりでは血染めの娘っ子とか圧倒的に萌えるし、斬り合いもかっこよいのだが、武官の活動を支えるべき文官が誰一人渋くなれなかったところに敗因が求められるといえよう。
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理解とは、応用できることである。
ある事象を理解すると、その事象に含まれる要素のうちのいくつかを、他の事象に応用できるようになる。
深く理解するということは、より多くの事象に応用できる要素を発見したということである。
この世の真理とはおそらく、あらゆる事象に応用できる要素を言う。しかしそこまで一般化されていると、役に立つかどうかは疑わしい。「がんばろう」くらい漠然としたものになってしまう可能性が高い。
年寄りのするアドバイスが役に立たないのもこれに類する。長い人生経験から取り出してきた数語ぶんの共通項なので、抽象化されすぎてしまうのである。年寄りにはアドバイスよりも、具体的な経験談を詳細に語ってもらったほうが面白い。
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板垣恵介(『餓狼伝』『グラップラー刃牙』)の描く牛肉が美味そうなのは、あれらの牛肉がジャックやらバキやらの筋肉になると思うからだ。
板垣世界では偉さ=強さ=筋肉。したがって牛肉=神。
美味しんぼでいくら食い物を言葉で飾ろうと、その食物は競馬場に通う山岡のヒョロい体のどこにも実りはしない。インテリのする食事だ。
ドラゴンボールでは大食らいの描写もあるし悟空は強いんだが、筋肉の質感が薄いのと、「マッチョ=弱い」方程式があるからいまいち。
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2003/01/23/01aへ続く。
2002/04/09/01aからの続き。
ふとICOのフラッシュをひっぱりだして聴き直していると、いろんなことがどうでもよくなって癒される。ゆ〜 わ・ぜ〜♪
ICOは、同じ「手をひっぱって連行」ものであるエイブアゴーゴー(感想を参照)と比較した場合、いまいちねーやんがパズル性に貢献していない。つまり、エイブではマドカン族の仲間を救うためのパズル手順とアクションが繰り返し出題されるのに対して、ICOのパズル・アクションのほとんどが少年のみに関わるものである。これは、ねーやんの死にざまが1つしかないためと思われる。墜死とか惨いのはやめておくとして、呪いの床を踏んでゲームオーバーとか、ダークウィスプをぶつけられてゲームオーバーとかがあったらよかったかもしれない。ねーやんを対象とする攻撃が多種類あれば、守るべきものとしてのねーやんがより際立ったのではないだろうか。
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