bでも十分上にソートされるはず日記
2003/05 その1

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2003/05/01 (木)

[ショタホモ実業領主マジカルグエン卿。(animation)]

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ターンエーガンダムは、政治カードゲームをしているつもりのグエンが、軍事シミュレーションゲームを
しているつもりの大佐たちや、私利私怨で相手を殴りたいその他の連中に振り回される
さまを面白がるアニメです。超おもしろいです。


2003/05/02 (金)

[∀ガンダム。MSがたすける多数の因果の連鎖。(animation)]

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 ターンエーガンダムを全話視聴完了した。面白い。放映当時は、うっすら伝わってくる富野監督関連の知識をもとにドラマツルギーのキモさ(ブレンパワード)とファンに対する悪意(髭面ガンダム)を感じとってしまい、作画の安定していて心眼フィルター*1を形成する必要のない劇場アニメのほうを好んでいたのだが、実はそれらは誤解で、∀ガンダムには気持悪さも悪意もなかったのだった。
 そしてたくさん出てくる人物のいちいちに地位階級、組織の中での立場、その場面集団*3内での位置、視点、他人を見るまなざし、行動や発言の動機が考えられ表現されており、それらが政治・戦略レベル、軍事・戦術レベル、個人・戦闘レベルに発現し影響を与えていくさまが複雑多彩で力強すぎる。
 上から下までが、グエンやディアナからソシエやロランまでが近く、横幅が、キャンサーからキースまでが広い。そして簡単に相手を動かすことができる。たとえばノックスの崩壊である。吹けばとぶような雑魚若僧であるはずのキースが、パン工場経営のやる気をだしてフラットを大佐に売り渡したことで、ミリシャが暴発しグエンが没落する。無名な一個人キースの決意が下から上へドミノを倒し、領主グエンをゆさぶり転ばして歴史を動かす。見事な連鎖だ。キースの得たイングレッサの紙幣が紙切れになってしまうというオチまでつく。素晴らしい。
 一言でいってしまうとドラマだけれど、この多彩さが肝だ。NHKでやるような大河歴史ドラマでは、領主武将といった国家指導者層が主になってしまい、下層の百姓農民描写は背景描写にしかならない。あるいは他方への影響があるとしても、個人対顔のない階級という、背景としての影響になってしまう。百姓個人から武将個人につながっていく行為のドミノ倒しがない。一方、恋愛ドラマでは個人の、横の連鎖は描けるがスケールが小さく、組織や社会や歴史といった切り口・視点での関係性をもちこむことができない。
 しかし、ガンダムはSFであり、モビルスーツがある。モビルスーツは人間の行為の連鎖の、上下方向をつなぐパイプだ。国家の指導者であるグエンやディアナに、ソシエやロランが肩を並べて会話し行動できるのは、かれらがモビルスーツを操縦しているからだ。モビルスーツは個人を師団クラスの戦闘単位に引き上げ、政経指導層との間に軍事面を通じての連鎖の経路をひらいている。だから「これをするならMSいらない」というターンエーガンダム批評をところどころでみかけるが、あたっていないし、「ハウス名作劇場だ」という評価もまた、はずれている。
 モビルスーツがあったからこそ、個人と、顔のない組織や階級、顔のない社会や歴史との対立という図式に陥らず、あくまで個人対個人の物語を展開していくことができたのだ。個人から歴史までの多彩なレベルで、とりどりの人物にさまざまな関係を与えそれぞれの行為をおこなわせて、因果の連鎖を多々長広につなげていくことができたのだ。
 ターンエーガンダムが面白い。とりあえずグエン様萌えから始めて、つなぎ広げていこうと思う。
* 1:
 TVアニメは基本的にへぼいので、作画・レイアウトに関する心眼フィルター、演出に対する補完フィルター、構成に対する再編集フィルターなど、さまざまなフィルター*2を自前で用意しなくてはならない。そのため精神力に余裕がある時でないとつらい。
* 2:
 視聴者の愛。
* 3:
 場面集団……いいかげんな言葉。適切な専門用語があるのだろう。ある場面にいる人物たちのこと。互いの存在を意識しあっていて会話したり戦闘したりできる集団。
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無敵の参考資料、全セリフ集ターンAガンダム_ポータル

2003/05/03 (土)

[リリ様とグエンのドラマその1。(animation)]

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 リリ・ボルジャーノ様萌え。なぜなら、グエンとのからみが萌え。
 領主としてのグエンを描くには、指導者としての大局的な視点・台詞を引き出すには、大佐では役者が足りない。というか、ミハイル大佐はグエンの大局的視点台詞が通じないという役どころだ。序盤はキエルがそのための役者なのだが、入れ替わった後のキエル役ディアナはグエンに気がないし、権力基盤がなく政治家として機能していないので、うまくからまない。そこでリリ様が御登場するので嬉しい。
 主人公側で政治的・経済的・軍事的に、一番広い視点で動いているのはグエンである。リリ様がその傍にいることでグエンの発言が説明的になり、世界描写の切り口が提供される。
 グエンへのキエルのアプローチは、ハイム家が格下なので必死だが、リリ様のアプローチはボルジャーノの家柄とグエン没落中のため、グエンのほうが押され気味である。リリ様はボルジャーノ家からイングレッサミリシャへのパイプ、というかそれこそスパイであり、内部事情の監視役兼、グエンをゲットするもまたよし、という目算。スエサイド部隊はリリ様を派遣してイングレッサミリシャに割り込ませるためのダシだ。グエンもそれを承知で歓迎している。
 家を離れて個人的には、リリ様は御曹司をかなり評価しており、大統領の器までありうると煽っている。これで二人がくっついてしまえば磐石の体制であり、アメリアはイングレッサ=ボルジャーノ同盟治下におかれかねなかったが、どっこいわれらがグエン卿は女なんかじゃ勃たねえのだ。あーあ。話のわかるヤツだ。
 ギンガナムと組むより、リリ様と仮面結婚してこっそりロランを二号に囲えばいいのに……賢策を採らずリスキーな選択肢に走って踏み外すとは、肝心なところで行動基準が謹直だ。男らしすぎる。ショタだけど。まあ、リリ様と仮面結婚なんて天と地と俺がゆるさんので、グエンは偉い。
 というわけでグエンゲットの可能性は御存知御曹司のラブラブローラによりないが、終盤までリリ様はそれを軽くみている。グエンの芝居の相手としてきわめて有能だから、リリ様は必要なのだ。可能性がないということをわれわれ視聴者は知っているので、リリ様が対グエン芝居でいちいち繰り出す色仕掛け攻撃の無効っぷりが楽しい。ここでは、防御力(血縁・妹属性の不動性)についての議論を用いることができる。グエンがショタホモであるゆえに、リリ様の媚びアタックをわれわれは観劇することができるわけである。

2003/05/04 (日)

[リリ様とグエンのドラマその2。(animation)]

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 リリ様には状況を読んで政治的タイミングを見逃さず切り込む能力がある。字面は悪いが、日和見主義的・便宜主義的センスであり、それは歴史が一人の人間の青写真通りには動かない以上、陰謀論的視点や観念論的視点よりもはるかに実際的である。
 一方、グエン卿閣下は政治家・施政者というよりも進歩主義者志向が強く、領民への責任とか、アメリア合衆国の支配権とかに興味が薄い。人類の文明・技術がどんどん進歩して太陽系をも飛び出していく、そんな未来へ世界を推しすすめていければそれでよく、自分が王様になれなくったっていい。むしろジョゼフあたりが覇王になってくれれば*1、その下で好き放題できるのにと思っている。まだ見たことのないものが見られ、使ったことのないものを使えるのなら、多少の犠牲は気にしないというイケイケフューチャー野郎であり、その意味では自分が興隆しようが没落しようが構わねえという危険な上司である。視野が広すぎて、自分の地位・組織・部下に執着がないのだ。最終話でミハイルが見限るのもそのへんを悟ったためであろう。
 グエンと思想的に真向相容れないのはアグリッパ・メンテナー。過去を封じ進歩を封じ、人民を無知のまま羊のように牧すとは、このグエン辛抱たまらん。ディアナとキエルは黒歴史を知ったうえでの人民の自律能力に期待しており、アグリッパを倒すのだが、その次の危険分子としてグエンを牽制しはじめる。グエンの楽天的技術第一主義は黒歴史技術の自律を脅かすからだ。つまりディアナとキエルも結局は人類の安定が目標なのだ。
 リリ様にとっては、イングレッサミリシャに随行して月まで来たのは素晴らしいラッキーヒット、いやさホームランとなった。アグリッパはリリをグエンより組み易しととったか、ウィルゲムがイングレッサミリシャ旗下にあるにもかかわらず、意図的にグエンを無視してリリを相手にしている。ディアナ=キエルもグエンを警戒しはじめている。リリ様はここぞ自分のうごきどころ、動乱のおとしどころ、交渉のまとめどころと見取ってグエンの脇のポジションから前進し、アグリッパをいなしさばきディアナ=キエル政権に肩入れし粉をかけ、アメリアと月をディアナ=キエル=ボルジャーノ枢軸下に集約していく。リリ様はこの一大好機を存分に利用させてもらう心算である。ココア∬∬(‾∀‾)旦~ウマーとはこのことである*2
 窮地に立ったのはグエンである。彼はさんざ苦労して月まで辿り着いたあげく、ディアナ=キエル=ボルジャーノ枢軸による戦後構想からはじき出されつつある。また、彼は月との戦争を指揮しながらも常にその戦争をすかして、戦後の世界を構想し、戦争を通じてどれだけの進歩が得られるかを考えてきたが、そこには軍事的衝突を通じての月の技術の流出、終戦和平の条件としての月からの技術供与、また戦後の月との緊張関係による工業化・技術革新という目算があった。だが雲行きはその目算を割り込む勢いである。グエンにとって、ムーンレィスに「弟」扱いされ、お兄さんのお古をタンスの奥から少しづつ着せてもらうなどは、ごめんこうむる。それはお嬢三人組にはじき出されるだけでなく、封じ込められてしまうということだ。
 しかしこの時点自体では、グエンはウィルゲムとターンAへの指揮権という力を持っている。今ならまだ行動の途がある。ターンAにロラン、ターンXにギンガナムを乗せて互いの牽制としつつ地球圏を統一、月の技術者らを根付かせて帰化させ、ターンAの量産に成功すれば、月と互角の関係を築けるだろう……で、部下の心の掴めなさっぷりの頂点を披露するというわけである。激しく告白、激しく玉砕。ロランに振られてしまっては、ギンガナムを抑えられない。ターンAとロランがキーストーンなので、この後はもうメロメロだが、リリ様にいじめられて空意地を張るさまがまた萌える。むろんいじめるリリ様の意趣返しっぷりも萌え萌えである。
 リリ様は中盤でキエルをライバルとみなして洗濯させたりしているが、ロランにもグエンをたらし込んで来いなどとセクシャルないじわるを言っている。グエンにいくらモーションかけても乗ってこないと思ったらショタかよ! 私の先行投資はどうなるのよ? という憤慨がていよく込められており、けっきょく萌える。
 リリ様とグエンとの間には、愛憎感情はないのに、無性ではないたしかに男女のドラマがあり、二転三転して萌え萌えして終わる。というか、まだ終わっておらず、グエンの再起と逆襲が予感される。やはり、リリ様とグエンのドラマは面白い。
* 1:
 もう1クール延長していたら、48話でジョゼフはグエンについていたのかもしれない。縄張り意識強いし。フラン的にはあぶねえあぶねえってところである。
* 2:
 もうアレですよ、44話でアグリッパを排除し、「月の女王様に貸し一つ、ですわね?」のあとの45話のココア、これはもうほとんど「リリがディアナをモノにした」ですよ。

リリ×ディアナ キタ────(゜∀゜)────!!

ですよ。

リリ「ふふっ……ディアナ様のココア、とってもおいしいですわ……ほら、もう、こんなに……」

ていうかキエル込みで3Pですよ。死刑ですか?

2003/05/06 (火)

[ターンエーガンダムの文明論。(animation)]

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 今、われわれ人類はノリノリであり、変転しまくっている。技術が三歩進んで二歩進み、それによって生産力が上がり、それにしたがって社会構造が変わっている。
 この進歩というやつは諸刃の剣であって、素人にはお勧めできない。核爆弾、熱帯雨林・農業・水産資源、外に敵を求める社会構造*1。いずれもろくでもない。そしてわれわれはこの変転を満足にコントロールできておらず、つい先日も望ましい社会構造をデザインして発表したヒゲオヤジがいたが、その運営は失敗した*2
 しかし、技術進歩というびっくり箱を次から次へと開けていくことで、嫌なものも出て来たが、愉快なものだってたくさん出てきた。それに、開けない奴は常に開けた奴に敗れ*3、退場していったではないか*4。かてて加えて、箱を開けていくうちに、そのどれかひとつで、進歩と変転とをコントロールする技術が見つからないともかぎらない。
 なるほどそれはそうかもしれない。だが、運任せに箱を開けつづけて、コントロール技術より先にアイスナイン*5をひきあててしまったらどうなる、そこで箱開け遊びもおしまいではないか。進歩をコントロールすることはできていないが、しかし停止させることは今でもできる*6。中世暗黒時代のごとく、分をわきまえてそこからはみ出ないことを美徳とし、進歩変転と新しいものを嫌い、父祖のした生き方を自分もなぞる、そんな安定第一の世界、そこでだって人間けっこう幸せに生きられるだろう*7
 だがその暗黒時代は、たとえば石油を掘りつくしたらエネルギーを太陽光だけに頼る生活にまで後退することになる。それは健康で文化的な最低限度の生活と言えるだろうか。
 とまあ、こんな話でもある、ターンエーガンダムは*8
 物語の開始する10年程前までは、ターンエーガンダムの世界は月もアメリアも、この中世的安定を成立させており、どうやったのか聞いてみたいくらいである。羨ましい。そしてその安定が崩れ、グエンのような進歩主義者が変人として登場するという展開は、さかさまになっていて妙である。
* 1:
 核爆弾は、冷戦構造あってこその一利と、その他百害とから成るものである。これは物理学の進歩がつくった。ジャングルも農地も魚も乱獲されて砂漠化しつつある。これは生産力の向上がもたらした人口の増加がもたらした。戦争を起こすと大統領支持率は上がる。これは社会構造の変転がもたらした。
* 2:
 カール・マルクスとその追随者のこと。
* 3:
20030712の脚注hnへ続く。
 本当は、常に敗れたという表現は一面的である。常に敗れたということは、常に勝ったということでもある。人の世に、最終的に負けた、ということはまだなく、最終的に勝った、ということもまだない。人間がまだ滅びていないからだ。だから、歴史を描いてハッピーエンドでしめくくった物語は、勝利の瞬間で時間軸を切ったということであり、歴史を描いてアンハッピーエンドでしめくくった物語は、敗北の瞬間で時間軸を切ったということである。いずれの場合も、実は、決着はついてなどおらず、続きがある。決着というのは、われわれ人間が因果関係をモデル化して解釈する際に、最も大きなユニットの末尾に付与するエンドコードである。
* 4:
 たとえば現在、われわれは帝国主義的あるいは資本主義的な競争の中にいるので、新しい技術の獲得や生産力の増大をやめた集団は表舞台から脱落していってしまう。
* 5:
 カート・ヴォネガットの小説に出てくる人類を破滅させるアイテム。
* 6:
 もっとも、進歩を停止させるほうが進歩を行いつつコントロールするより比較的楽だ、ということであって、停止は停止でやはり容易ではない。先に述べた競争がそれを妨げるからである。
* 7:
 アーミッシュ。
* 8:
 最も踏み込んでいるものはターンエーガンダムであろうが、ファーストガンダムでのギレンの発言や、逆襲のシャア、ブレンパワード、キングゲイナーなどでもこの問題が背景として触れられている。個人レベルの話を語るにせよ、最背景には巨視的な人類規模の悩みを配置しておく心遣い、さすが私達のトミノ様でいらっしゃる。そして、巧妙に結論を回避しており*9、小賢しい。
* 9:
 ギンガナムとターンA・ターンXが死亡または破壊されはしないで、封じ込められただけであること。

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